明帝[語句情報] »
明帝
「明帝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
明帝の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
う》に傾かざる者なしとあって、虎の声は随分大きいが獅に劣る事遠しだ、『類函』に魏
明帝宣武場上にて虎の爪を断ち百姓をして縦観せしむ、虎しばしば圏《おり》を攀《よ》....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
とするに、どうしてこれが片手落ちであろう。そもそも仏法がこの国土に弘まったのは欽
明帝十三年仏僧入朝の時であって、以来、大寺の諸国に充満し、王公貴人の信仰したこと....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
御痘軽ければ猿の病重く、皇家重らせたまえば猴やがて快《よ》くなるといい伝う。後光
明帝崩御の時坂本の猴軽き疱瘡なりしとかや、今度新帝(東山天皇)御医薬の時山王の猴....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
の多きに及んだとある。その中にも邪馬台国最も勢力があって、その女王卑弥呼は、魏の
明帝から親魏倭王に封ぜられ、金印紫綬を賜わった。この邪馬台国は、今の筑後の山門郡....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
舞楽との間に右のごとき区別が生じたのは、貞観供養より先だつ二三十年、弘法滅後の仁
明帝前後の時代に行なわれた音楽の大改革のゆえであろう。この時代には高麗楽のみが栄....
「三国志」より 著者:吉川英治
と黄巾の賊将で、のちに曹操へ降参した弁喜というものが固めていた。 山には、漢の
明帝が建立した鎮国寺という古刹がある。弁喜は、部下の大勢をここに集めて、 「――....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
島々に遺っているらしい。 話はとぶが、日本人の名が、勿体ぶってきだしたのは、仁
明帝(西暦八三三年)以後で、それ以前には、なかなか愉快な名が多い。 蘇我ノ蝦夷....