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明珍
「明珍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
明珍の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
ろして、冷静な指揮をつづけていた。 信玄は黒糸縅しの鎧の上に緋の法衣をはおり、
明珍信家の名作諏訪|法性の兜をかむり、後刻の勝利を期待して味方の諸勢をはげまして....
「稲生播磨守」より 著者:林不忘
りは、肥後の林重長と観《み》ましたが。 四 いや、お眼がお高い。 五 この鍔は、
明珍の誰でござりますな? 所有主 義房作とか、伝えられておりますが、いや、お恥か....
「海神に祈る」より 著者:田中貢太郎
ので暗かった。其の夜の八時すぎになって堰堤の突端に松明の火が燃えだした。其処には
明珍長門家政作の甲冑を著けて錦の小袴を穿き、それに相州行光作の太刀を佩いた権兵衛....
「近藤勇と科学」より 著者:直木三十五
いて叫んだ。 「見苦しい。お互様だ」 一人は、隣の人に 「俺の甲《かぶと》は、
明珍《みょうちん》の制作で、先祖伝来物だが、これでも、弾丸は通るかのう」 首を....
「兜」より 著者:岡本綺堂
っているよりは少しく出世したのである。或る人に鑑定してもらうと、それは何代目かの
明珍の作であろうというので、勘十郎は思いもよらない掘出し物をしたのを喜んだという....
「回想録」より 著者:高村光太郎
仕事に入れて、仏像台座を削ったりしてどうにか食べてゆけるようにしてやったりした。
明珍さんなども、そういう仕事でとうとう奈良でものになった。細谷とか其他の人達もい....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
に西巻を冒し、林が西巻となったのでした(その後元の林に復す)。美雲の父は鎧師で、
明珍の末孫とかいうことで、
明珍何宗とか名乗っていて、名家の系統を引いただけに名人....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
君は幼少の時から私宅へ参り、中年米国へ渡り、今日に至るまで、まだ帰って来ません。
明珍恒男君は深川|森下の生まれ、初めは私の弟子で、後美術学校入学、卒業後、古社寺....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
たい腹巻と、籠手脛当は、寝るまも脱いでいなかった。 彼のよろい具足は、お抱えの
明珍に図案させ、縅から彫金のかな具一ツまで、粋を凝らしめたものである。それをいま....