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「星霜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

星霜の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
伝吉の敵打ち」より 著者:芥川竜之介
かし「伝吉物語」によれば、服部平四郎《はっとりへいしろう》の名を知るまでに「三|星霜《せいそう》を閲《けみ》し」たらしい。なおまた皆川蜩庵《みながわちょうあん》....
秋山図」より 著者:芥川竜之介
が私《わたし》にこの話を聴かせたのは、始めて秋山図を見た時から、すでに五十年近い星霜《せいそう》を経過した後《のち》だったのです。その時は元宰《げんさい》先生も....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
山本願寺時代、信長の雄略を以てしても本願寺門徒を攻め倒すことが出来ず、十一箇年の星霜を費して、やっと媾和している。 しかし、秀吉がその愛児秀頼に、この難攻不落....
少年探偵長」より 著者:海野十三
れたという伝説以外、誰もこの、ヘクザ館の由来を知っているものはない。 爾来、幾星霜、風雨にうたれたヘクザ館は、古色蒼然として、荒れ果ててはいるが、幸いにして火....
霊魂第十号の秘密」より 著者:海野十三
きゅうでん》があったが、今から二千年ほど前に戦火に焼かれ、砕かれ、そのあとに永い星霜《せいそう》が流れ、自然の力によってすさまじい風化作用《ふうかさよう》が加わ....
油絵新技法」より 著者:小出楢重
は感じる。 日本人描くところのシュールは超の方は容易に出来るのだが、何しろ永い星霜を仙人と鶴と亀とを友としていた関係上、なかなかレアリズムとか写実とか、光線の....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
って、成るほどそうかと思う丈のことに過ぎませぬ。四百|年といえば現世では相当長い星霜でございますが、不思議なものでこちらではさほどにも感じませぬ。多分それは凝乎....
銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
伽藍樹間に聳え、人をして崇敬せしむるものあり。達尊爺々の創建せるも技一千数百年の星霜を経。僧侶数百の武に長じ、軍略剣法方術に達す。 康※帝の治世に西蔵叛す。官....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
れを見込んだのが周作で、懇々身上を戒めた上己が塾へ入れることにした。爾来|研磨幾星霜、千葉道場の四天王たる、庄司弁吉、海保半平、井上八郎、塚田幸平、これらの儕輩....
沙漠の古都」より 著者:国枝史郎
に接近出来なかった。それでも私は根気よく彼の身辺を窺った。こうして星移り物変り幾星霜が飛び去って行った。果然|王※を滅ぼした劉秀がこの世へ現われたかのように、先....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当時余輩は現存の法隆寺金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該寺が....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
もまだ白状しない。私がラサ府に着いて居る時分にはそんな責苦を受けながら既に二年の星霜を経たという。 それでも自分の主人に対し一言もこうであったといわぬところを....
金山揷話」より 著者:大鹿卓
。秋田鉱山専門学校の同じ寄宿舎で寝起きしたのは、もう十数年の昔になる。そのながい星霜は、互に学生時分には思いも設けなかった厳しさで、私達はそれぞれをそれぞれの行....
「特殊部落研究号」発行の辞」より 著者:喜田貞吉
するものまた少からざる次第にこれ有り、既に明治四年穢多非人の称を廃せられてより、星霜を経る五十に近からんとする今日に於いて、なお特に或る限定せられたる社会を限り....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
がら練歩いて行ったその時の感激的な光景は、今もなお眼前に彷彿としている。 爾来星霜ここ二十年、大学それ自身の発展や拡張も、当時に比して実に隔世の感があるが、そ....