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時余
「時余〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
時余の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「どんぐり」より 著者:寺田寅彦
すわると同時に急に咳《せき》をして血を吐いた。驚いたのは当人ばかりではない、その
時余の顔に全く血のけがなくなったのを見て、いっそう気を落としたとこれはあとで話し....
「幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
し猶能く考えて見ると、お浦の紛失よりも余の怪我の方が一入不思議だ、アノ室にはアノ
時余の外に誰も居なんだ、今思うと刺される前に余の背後で微かな物音が聞こえたかとも....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
高山樗牛の崇拝者で、兄弟打連れて駿州竜華寺に樗牛の墓を弔うたりした。君の親戚が当
時余の僑居と同じく原宿にあったので、君はよく親戚に来るついでに遊びに来た。親戚の....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
致する考え方であって、その点からすれば至極尤もな考えと云ってもいいのだが、併し当
時余暇を有つことの出来た人間は凡て奴隷所有階級にぞくしていたという点を注意すべき....
「妖僧記」より 著者:泉鏡花
ぬことながら、お通は追懐の涙を灌ぎ、花を手向けて香を燻じ、いますが如く斉眉きて一
時余も物語りて、帰宅の道は暗うなりぬ。 急足に黒壁さして立戻る、十|間ばかり間....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
藤堂、倅《せがれ》周平、右五人に御座候、かねて徒党の多勢を相手に火花を散らして一
時余の間、戦闘に及び候処、永倉新八郎の刀は折れ、沖田総司刀の帽子折れ、藤堂平助の....
「或る男の手記」より 著者:豊島与志雄
続きになるその温泉宿へ、保養旁々来ていた所が、女中の手が足りなくなったために、一
時余儀なく手伝いをしてるのだそうだった。やがては女中も来るから、そしたら暫くの間....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
るにとうとうこの機会が到来しないで沢田は死んでしまった。 彼の病気が愈々危篤の
時余は東京にいなかったと思うが、余の家族のものは余に代って見舞の電報を打ったとい....
「南極の怪事」より 著者:押川春浪
に達し、その梯子を昇るも夢中にて、昇降口よりヒョイと甲板上に顔を現わせしが、その
時余の驚愕はいかばかりなりしぞ。空には断雲の飛ぶ事矢のごとく、船は今想像もできぬ....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
これである。 その春休みは月の瀬近傍に発火演習を遣る旨が学校の講堂に掲示された
時余は誰にも言わず一人で東京行きを志した。一日の費用拾五銭という予算で徒歩旅行を....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
叱り給ふ時は機嫌よろしからぬほどなれば、おのづから気随におひたてり。されど小児の
時余の尤もおそれたるは父と家に蔵する鍾馗の画像なりしとぞ。 幼なかりしころより....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
劇は舞踊と合せてこれを貴族的なる能楽に対照し専《もっぱら》江戸平民美術として見る
時余は多大の興味を感じて止《や》まざるなり。これがためには聊《いささ》かの改造も....
「将来の日本」より 著者:田口卯吉
にありて、名士の間を往来す。一日余の廬を過ぎ、大いに時事を論じ、痛歎して去る。当
時余ひそかに君の気象を喜ぶ。しかるにいまだその文筆あるを覚らざるなり。 すでに....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当
時余輩は現存の法隆寺金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該寺が天智天皇九年庚午....
「特殊部落ということについて」より 著者:喜田貞吉
に関する論説記事の掲載をなるべく差控える方針をとっておった。しかるに不幸にして近
時余輩の有する余暇と余輩の健康とは、当分かくの如き増大号の頻繁なる発行を見合すべ....