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時宗
「時宗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
時宗の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
上だ。――今まででも蔭じゃ、馬鹿の気違のと呼びつづけに呼ばれていたんだ」 この
時宗近君の大きな丸い眼から涙がぽたぽたと机の上のレオパルジに落ちた。 「なぜ黙っ....
「門」より 著者:夏目漱石
年も住んでいる八百屋の爺《おやじ》が勝手口でわざわざ説明してくれた事がある。その
時宗助はだって根が残っていれば、また竹が生えて藪になりそうなものじゃないかと聞き....
「趣味の遺伝」より 著者:夏目漱石
兵士も尊《たっ》といと云わねばならぬ。昔《むか》し元寇《げんこう》の役《えき》に
時宗《ときむね》が仏光国師《ぶっこうこくし》に謁《えっ》した時、国師は何と云うた....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
いた。それをソロソロと振り冠った。ピッタリと宗春へ寄り添った。 「お半」 と其
時宗春が云った。悩ましいような声であった。 「俺の身に、いかなる変事があろうとも....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
にならない生頭を取られたというのである。して見ればこの人の薨去は文永四年で北条|
時宗執権の頃であるから、その時分「げほう」と称する者があって、げほうといえば直に....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
とは、そうした妄想を打破ることです。克服し超越することです。その昔、相模太郎北条
時宗は、祖元禅師から「妄想するなかれ」(莫妄想)という一|喝を与えられて、いよい....
「元禄十三年」より 著者:林不忘
よ。」 京都の御影堂本家の主人は、店に、本尊|法然《ほうねん》の像をまつって、
時宗だったから、僧形で妻帯していたが、円頂で扇をつくって京の名物男だった。 そ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
るべく、行末の安泰|覚束無《おぼつかな》きことにござる、と説いた。片倉小十郎も此
時宗時の言に同じて、朝命に従わぬという名を負わされることの容易ならぬことを説いた....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
はない。いづくんぞ、仏勅を以て爵録に換へんや」 かくいい放って誘惑を一蹴した。
時宗が嘆じて「ああ日蓮は真に大丈夫である。自ら仏使と称するも宜なる哉」とついに文....
「助五郎余罪」より 著者:牧逸馬
ろう――一番目は?」 「八重九重桜花姿絵《やえここのえはなのすがたえ》」 「五郎
時宗《ごろうときむね》、お定《きま》りだ。こうっ、ぶっつり来たろう」 「恐れ入り....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
国の地頭職を勤めたことが有る様に記憶しています。左様、何でも鎌倉時代の中葉、北條
時宗頃の人でしたろう。蒙古退治の注進状の中に、確か此人の連名もあったかと思います....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
を唱えつつ当時の日本国内六十万人を目標に「光明」の文字を書いた賦算を配って歩いた
時宗の開祖一遍上人(延応元年に生れ正応二年に歿す)があります。上人の歌に、 とも....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
に過ぎなかったのである。勿論この統計は、決して正確とは言い難いものであろうが、当
時宗門改めのやかましかった時代であるから、案外信用するに足るものであろうと思われ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
、日蓮宗を奉じているものが少くない。 最後に出て特殊民を済度した念仏の行者は、
時宗の開祖たる一遍上人智真である。彼は遊行上人ともいわれる程で、念仏を唱えて諸国....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
めに種々の工夫をこらさねばならぬ。鉦を打って諸国を修行して廻る鉦打聖なるものが、
時宗の末派として、一種の特殊民とみなされるに至ったのも、けだしこれがためである。....