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晏
「晏〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
晏の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青木の出京」より 著者:菊池寛
は後で考えた――ぽろぽろと流しながら、「そんなことを! 僕の罪を君に委せて、僕が
晏然《あんぜん》と澄ましておれるものか、僕はそれほど卑屈な人間ではない。さあ一刻....
「惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
摂取し尽したという意識がなかったなら、どうしてあの目前の生活の破壊にのみ囲まれて
晏如たることが出来よう。そして彼は「汝等もまた我にならえ」といっている。それはこ....
「鶴は病みき」より 著者:岡本かの子
な。」私「そうでしょうか。私なんか煩悩だらけで、とても、ものごとを単純に考えて、
晏如として居られないんです。そのくせ性格の半面は、とても単純でのん気千万のくせに....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
家橘、田之助、仲蔵などという顔ぶれで、一番目は「八犬伝」中幕は田之助が女形で「大
晏寺堤」の春藤次郎右衛門をする。二番目は家橘――元の羽左衛門です――が「伊勢音頭....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
に姿をあらわした。彼は覆面して身軽によそおっていた。「仇討襤褸錦」の芝居でみる大
晏寺堤の場という形で、彼は抜足をして蒲鉾小屋へ忍び寄った。 喜兵衛はかの笛が欲....
「運命」より 著者:幸田露伴
て長春不老の癡想を懐かず、死して万物自然の数理に安んぜんとす。従容として逼らず、
晏如として※、辺土の黠豪等、或は虚に乗じて事を挙ぐるあらば、星火も延焼して、燎原....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
五郎)人来鳥のお歌(栄三郎)で、この興行には団十郎も出勤し、中幕の上「繿縷錦」大
晏寺堤は団十郎の春藤次郎右衛門、左団次の嘉村宇田右衛門、菊五郎の高市武右衛門、中....
「二・二六事件に就て」より 著者:河合栄治郎
とを許されその故に吾々は法規によって武器を持つことを禁止されている。然るに吾々が
晏如として眠れる間に武器を持つことその事の故のみで、吾々多数の意志は無の如くに踏....
「愛の為めに」より 著者:甲賀三郎
上論じ尽した理由によると、どうしても見ず知らずの他人の手に赤ン坊を渡して、母親が
晏如としている筈がないからである。どう云う理由でかは分らぬが、その婦人が青年を知....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
ざいましたこと、何は、あの此間から行って見たいッて、おっしゃってでした、俤橋、海
晏寺や滝の川より見事だッて評判の、大塚の関戸のお邸とやらのもみじの方は、お廻りな....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
は二十六年の盆興行で、通し狂言が円朝物の「榛名梅香団扇画」で、ほかに中幕として大
晏寺堤と水滸伝のだんまりが付いていた。この芝居に対して、小林君は中央新聞社蜃気楼....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
にして、傍の岩に痩せた身体を凭せかけたまま、さながら無言の行とでも云いそうな形で
晏然と坐っていた。生きているのか、死んでいるのか、眠っているのか、起きているのか....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
に彼が唯一の保護者とも申すべき称徳天皇崩御後までも、彼は自衛の道を講ずる事なく、
晏然陵下に廬を結んでこれに仕え奉り、今に諸臣が皇嗣として自分を迎えに来るであろう....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
に従うに忍びない事情がある。その忍びない事を実行せずして日本に帰ったからといって
晏然として居られるものでない。たとい世界に対する義務を尽しても、自分が自分に対す....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
らしい。 智行僧のことはしばらく措く。浄行僧島に流された一方には、妻子を有して
晏然たる法師の存在もまた認められていたのである。そして自分のいわゆる俗法師の徒は....