景行天皇[語句情報] » 景行天皇

「景行天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

景行天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
古代国語の音韻に就いて」より 著者:橋本進吉
れらの語は、上二段活用でなかったかとも考えられるのでありますが、『日本書紀』巻七景行天皇十二年の条を見ると、「乾此云賦」とあって「乾」を「フ」と読ませてあります....
古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
それなり叫び死にに死んでしまいました。 白い鳥 一 第十二代|景行天皇は、お身の丈が一|丈二|寸、おひざから下が四|尺一寸もおありになるほどの....
十二支考」より 著者:南方熊楠
、専用の武器とは見えず。 だが昔大分地方の鼠の岩屋等の強賊、皇命に従わざりしを景行天皇ツバキの槌を猛卒に持たせ誅殺した事あり(『書紀』七)、この木は今も犬殺し....
最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
の記録も、巫女生活の記念という側から見ると、そう一概にも定められぬところがある。景行天皇に隙見せられた美濃ノ国|泳の道を知りませんから」というのである。 おな....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
辺の道」と云い、古記にも、崇神天皇には「御陵ハ山辺道ノ勾之岡ノ上ニアリ」とあり、景行天皇には「御陵ハ山辺之道ノ上ニアリ」とある。 この古代の道が今も残っている....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
毒蛇にかまれて死に当社にまつる、とあるそうです。 ここで注意すべきは、古事記の景行天皇紀というものは大碓小碓双生児のみならず、主要な登場人物が必ず二人、分身的....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
士は、早くすでにその事実を忘却したり。当時の著作なる『古事記』『日本紀』等には、景行天皇朝に日本武尊の経略し給える蝦夷の日高見国をも、当時の蝦夷蟠居の域なる北上....
「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
滅ぼすを以て目的となし給うというが如きことは、古史の決して言わざるところである。景行天皇の襲国に熊襲梟帥を誅し給うや、「少く師を興さば則ち賊を滅ぼすに堪へず、多....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
曇・高橋の二氏が任ぜられる例であったが、この二氏ともに手長族に縁がある。高橋氏は景行天皇東幸の際の御膳の役を勤めたものの子孫だと云う事で、新撰姓氏録には、宍人朝....
人身御供と人柱」より 著者:喜田貞吉
ある。山姥、山男、或いは天狗というが如きは、それが伝説化されたものにほかならぬ。景行天皇の詔にも、山に邪神あり、郊に姦鬼あり、衢を遮り、径に塞がりて、多く人を苦....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
方から消えてしまったのであります。 普通に歴史の示すところによりますと、むかし景行天皇の御代に当って、武内宿禰が勅を奉じて東国を巡察致しまして、蝦夷という変っ....
古事記」より 著者:太安万侶
ました。この皇后は狹木《さき》の寺間《てらま》の陵にお葬り申しあげました。 五、景行天皇・成務天皇 景行天皇の后妃と皇子女 オホタラシ彦オシロワケの天皇(景行....
山の人生」より 著者:柳田国男
められ、すなわち後者は原住民、国つ神の犯すところであることが解ります。『日本紀』景行天皇四十年の詔に、「東夷の中蝦夷尤も強し。男女|交り居り父子|別ち無し云々」....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
邑に酒宴を催して敵を誘い、道臣命の合図で一挙にこれを皆殺しになされたとか、或いは景行天皇御西征の時に、土蜘蛛に赤い着物や珍らしい物を与えて招き寄せ、ことごとくこ....