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「暹〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

暹の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
河明り」より 著者:岡本かの子
、私が仲に立つ旨を云い遣ると、店員からは案外喜んだ承諾の返事が来て、但、いま船は羅の塩魚を蘭領印度に運ぶために船をチャーターされているから、船も帰せないし、自....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
屋だけには水が浸さなかったので、書生は幸いに死をまぬかれた。 天宝の末年に独孤という者があって、その舅は范県の県令となっていた。三月三日、家内の者どもと湖水....
十二支考」より 著者:南方熊楠
る。象厩に猴を畜《か》えば象を息災にすとシャムでも信ずる由、クローフォールドの『羅《シャム》使記』に見ゆ。 『説苑』七に楊朱《ようしゅ》が梁王に見《まみ》えて....
十二支考」より 著者:南方熊楠
を畜《か》えば、象を息災にすと信ずる由書いたが、近日一七七一年パリ板ツルパンの『羅《シャム》史』に、シャムの象厩に猴を飼い、邪気が厩を襲えば猴これを引き受け象....
浮かぶ飛行島」より 著者:海野十三
が出来て、南シナ海をとりまく諸国――つまり英国が主となり、仏国、米国、オランダ、羅、中国の諸国を表面上の株主として、莫大な建造費を出しているのだった。工費は、....
雪たたき」より 著者:幸田露伴
今の武家の世も一世界でござる。が、世界がそれらで尽きたではござらぬ。高麗、唐土、羅国、カンボジャ、スマトラ、安南、天竺、世界ははて無く広がって居りまする。ここ....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
麟であったが宗湛はニベも無く断わった。次に秋月種実が強迫的に得ようとしたが呂宋、羅、明国を股にかけ、地獄をも天国をも恐れようとはしない海上王たる宗湛に執っては....
人魚謎お岩殺し」より 著者:小栗虫太郎
が何あろう、双体畸形の特徴なんだよ。 十九世紀の末頃だが、有名なシャン・エンの羅兄弟――それが、一八七二年に死んだときのことだった。その時、パウル・ガリンス....
紅色ダイヤ」より 著者:小酒井不木
のでも惜しげなく買ってくれます。叔父さんの家には祖先伝来の宝として、天竺徳兵衛が羅から持ってきたという大きな紅色のダイヤモンドがあります。それは今までたびたび....
九条武子」より 著者:長谷川時雨
な性格は、長兄光瑞師と、武子さんがうけついでいるといわれているそうで、武子さんは羅《シャム》の皇太子に入輿《にゅうよ》の儀が会議され――明治の初期に、日支親善....
秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
× × 日本と南洋諸国、即ち呂宋、媽港、安南、東京、占城、柬埔塞、羅、太泥等と貿易をしたのは相当旧くからであるが、それらの国々へ渡航する船舶に対....
ノンシャラン道中記」より 著者:久生十蘭
二五年のことでございますヨ。手前は交趾支那《こうちしな》の安交《アンコオル》から羅《シャム》の迷蘭《メエランク》地方へ猛獣狩りに参りました。するてえと、ある夏....
墓地の殺人」より 著者:小酒井不木
街を突き切って郊外らしいところへ出ました。私は十年ほど前に同じ道を通って覚王山日寺を訪ねたことがありますが、その頃は道の両側は一面の青田でして、諸所の農園めい....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
一人であった。ツイ昨年|易簀した洋画界の羅馬法王たる黒田清輝や好事の聞え高い前の羅公使の松方正作の如きもまた早くから椿岳を蒐集していた。が、椿岳の感嘆者また蒐....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
豪くなって大人びたのでもあろう。 その時代、一番親しくしたは二葉亭の易簀当時|羅公使をしていた西源四郎と陸軍大尉で早世した永見松太郎の二人であった。殊に永見....