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「更科〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

更科の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
川中島合戦」より 著者:菊池寛
松本〉) (4)木曾義康(木曾谷、福島城〈福島〉) (5)村上義清(小県、埴科、更科、水内、高井諸郡、葛尾城) 信玄は、天文九年から、天文十七年にかけて、これ....
海神別荘」より 著者:泉鏡花
のを知らないのです。海底の琅※の宮殿に、宝蔵の珠玉金銀が、虹に透いて見えるのに、更科の秋の月、錦を染めた木曾の山々は劣りはしない。……峰には、その錦葉を織る竜田....
木の子説法」より 著者:泉鏡花
大和田は程遠し、ちと驕りになる……見得を云うまい、これがいい、これがいい。長坂の更科で。我が一樹も可なり飲ける、二人で四五本傾けた。 時は盂蘭盆にかかって、下....
唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
歌で引込むんです、柄にはありませんがね。何でしたっけ、…… わが心なぐさめかねつ更科や 姨捨山に照る月をみて 照る月をみて慰めかねつですもの、暗いか....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
いう内の子供とよく遊んだものだが、その家来が子供を連れて行くのに誘われて、永坂の更科蕎麦へ行ったこともあった。これらは人込みの騒がしい所で食べることであり、中堀....
月夜のあとさき」より 著者:津村信夫
相好を崩した。 私の宿った坊では、月夜の晩にはきまって蕎麦を打った。 蕎麦は更科と云うけれども、信州蕎麦のほんとに美味しいのはこの戸隠飯綱の原を中心とするあ....
姨捨山」より 著者:楠山正雄
様をうらみましたけれど、どうすることもできませんでした。 すると、この信濃国の更科という所に、おかあさんと二人で暮らしている一人のお百姓がありました。ところが....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
ある方角をくらますのが、その目的」 「………」 「さて、真砂町一丁目までくると、更科《さらしな》の前で駕籠をかえし、二階へあがって硯《すずり》と筆をかり、名札に....
五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
った。 「欲在前忽然而在後」これでなければならなかった。 「澄む月は一つなれども更科や田毎の月は見る人のまま」 こうでなければならないのであった。 ....
俳人蕪村」より 著者:正岡子規
や水青鷺の脛を打つ 鮓を圧す我れ酒|醸《かも》す隣あり 宮城野《みやぎの》の萩|更科《さらしな》の蕎麦にいづれ のごとく二五と切れたるあり、 若葉して水白く....
間人考」より 著者:喜田貞吉
。 後撰集に、 身の憂さを知ればはしたになりぬべし、思へば胸のこがれのみする。更科日記に、 今は宿取れとて、人々あかれて宿を求むる所、はしたにていとあやし(賤....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
復五十二マイルなり。帰路、雷雨にあう。生稲亭にて日本料理を会食して帰る。料理中に更科蕎麦を出だせるは意外なりき。 二十一日、晴れ。二回の雷雨のために、気候にわ....
あの世の入口」より 著者:知里真志保
れてやるとぜったいに出てこないということである。 (元室蘭、室村三次郎翁談、――更科源蔵『北海道伝説集、アイヌ篇』19ページ) 日高国沙流郡|富川町は、もと佐....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
られるカッフエなんていうものはなしさ、精々三度に一度位、毘沙門隣の春月か通寺町の更科あたりで、三銭か五銭のザルそば一つ位で人生や文学を談じては、結局さびしく帰っ....
芝、麻布」より 著者:小山内薫
に平野水の瓶が列をなしていたことである。六代目はウィスキイが強かった。 麻布の更科という名代のそば屋は、ちょうど森元の通りを突き当ったところにあった。左団次は....