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「書堂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

書堂の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
魚玄機」より 著者:森鴎外
て口止をして置いたのである。然るに温は酔ってその事を人に漏した。その上かつて「中書堂内坐将軍」と云ったことがある。綯が無学なのを譏ったのである。 温の名は遂に....
百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
で、あれをはいて居ると下腹部から下の温みが着物一枚どころではない、万事につけて耕書堂生活にはぴったりとした着用物である。自分の予想が当った事を非常に喜んで弥之助....
戯作者」より 著者:国枝史郎
版元蔦屋重三郎がある日銀座の京伝の住居をさも忙しそうに訪れた。 「おおこれは耕書堂さん」 「お互いひどい目に逢いましたなア」 蔦屋は哄然と笑ったものである。....
曲亭馬琴」より 著者:邦枝完二
いうちに、あわてて長屋を飛び出すと、雪の中を跣足《はだし》のまゝ、まず通油町の耕書堂と鶴仙堂へ飛んで行った。こゝの主人《あるじ》重三郎《じゅうざぶろう》と喜右衛....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
本新聞』紙上に連載して自らこれを承認し評価した。これは『俳句界四年間』と題した俳書堂出版の俳諧叢書のうちに収録してある。――この頃『俳諧大要』という合冊本として....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
文章を載せたりしていた。それを言ったものである。その我ら仲間の批評というのは今俳書堂から出版している『俳句界四年間』の中に収録してあるはずである。私の句が難渋云....
徒歩旅行を読む」より 著者:正岡子規
かも充分に成功したる楽天の手腕には驚かざるを得ない。 〔中村楽天著『徒歩旅行』俳書堂 明治35・7・9刊〕....
三国志」より 著者:吉川英治
」と、木の間の奥を指さした。 見るとなるほど、田舎びた母屋とはかけ離れて一棟の書堂が見える。周瑜は童子たちに、 「ありがとう」と、愛想をいって、そこへ向う、疎....