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曽
「曽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
曽の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
越した祖母の手に育てられて来たのだそうです。ですから茂作が重病になると、稲見には
曽祖母《そうそぼ》に当る、その切髪《きりがみ》の隠居の心配と云うものは、一通《ひ....
「高野聖」より 著者:泉鏡花
と、白痴《ばか》は首を曲げてかの臍《へそ》を弄《もてあそ》びながら唄った。
木
曽《きそ》の御嶽山《おんたけさん》は夏でも寒い、
袷《あわせ》遣《や》りた....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
侵入以来わずか五週間で強敵フランスに停戦を乞わしめるに至りました。即ち世界史上未
曽有の大戦果を挙げ、フランスに対しても見事な決戦戦争を遂行したのであります。しか....
「西湖の屍人」より 著者:海野十三
忙しいから後にこい」大竹女史が目を瞑じたまま、男の声で答えた。 「先生、こっちは
曽我貞一です。神田仁太郎を連れてあがりました」 「
曽我貞一に、神田仁太郎? そん....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
た時、先生はさびしそうに笑いながら言っていた。 その夏僕は、訓育(実科)では未
曽有の十九点何分(二十点満点)で一番、学科では十八点何分で二番、操行ではこれまた....
「日本脱出記」より 著者:大杉栄
たが、僕がフランスを出る数日前に、パリ近郊の下院代議士補欠選挙の候補者として、未
曽有の投票数で当選した。反対諸党は合同して一人の候補者を出す筈であったのだが、こ....
「木曽の旅人」より 著者:岡本綺堂
ろに、もう五十近い大男がずっとはいって来ました。その男の商売は杣で、五年ばかり木
曽の方へ行っていたが、さびれた故郷でもやはり懐かしいとみえて、この夏の初めからこ....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
して考えられないのが不思議である。常設館ができてのちにも、松之助の「忠臣蔵」と「
曽我兄弟」だけはこの小屋で見た。特別興行という意味合のものか、そこらはよくわから....
「怪獣」より 著者:岡本綺堂
を直して語り出した。 二 わたしがMの町へ入り込んで、S旅館――仮に
曽田屋といって置こう。――の客となったのは七年前の八月、残暑のまだ強い頃であった....
「「草紙洗」を描いて」より 著者:上村松園
れを着けている人が名人であったら、面は立派に喜怒哀楽の情を表わします。わたくしは
曽て金剛巌師の“草紙洗”を見まして、ふかくその至妙の芸術に感動いたしたものですか....
「木曽の怪物」より 著者:岡本綺堂
らのお噺をすれば種々あるが、先ず近い所では現に三四年前、私が二人の仲間と一所に木
曽の山奥へ鳥撃に出かけた事がある。そういう時には、一日は勿論、二日三日も山中を迷....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
は眼と眼で笑ったばかりで、なんとも言わずに列んであるいた。去年か今年か、なんでも
曽てこんな楽しい記憶があったように思いながら、小坂部はそれが何時のことであったか....
「革命の研究」より 著者:大杉栄
についてのごく大胆な考えを持つことができるようになった。宗教の批評は、深刻に、未
曽有のそしてまた不可能だった大胆さで行われた。人間社会のいろんな制度の起原を神に....
「県歌 信濃の国」より 著者:浅井洌
いずれも国の鎮めなり 流れ淀まずゆく水は 北に犀川|千曲川 南に木
曽川天竜川 これまた国の固めなり 三 木
曽の谷には真木茂り 諏訪の湖には....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
くその前からであったらしい。大正三年夏の「偕行社記事別冊」として発表された恐らく
曽田中将の執筆と考えられる「兵力節約案」は、面の戦術への世界的先駆思想であると信....