曽て[語句情報] »
曽て
「曽て〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
曽ての前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「あらくれ」より 著者:徳田秋声
こおび》をだらりと締めて、深いパナマを冠《かぶ》った彼の後姿を見送ったときには、
曽て覚えたことのない物寂しさと不安とを感じた。
それにお島は今月へ入ってからも....
「失楽園殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
た卵白のような異臭には、布片で鼻孔を覆わざるを得なかったのである。然し室内には、
曽て何人も見なかったであろう所の、幻怪極まりない光景が展開されていた。 それを....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
ことになるので、応対に出た用人は飽までもシラを切って、当屋敷に於ては左様な覚えは
曽て無い、それは何かの間違いであろうと云い聞かせましたが、八人の者はなか/\承知....
「蒲団」より 著者:田山花袋
町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者、母は殊にすぐれた信者で、
曽ては同志社女学校に学んだこともあるという。総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某....
「文士としての兆民先生」より 著者:幸徳秋水
。 先生の文は殆ど神品であった。鬼工であった、予は先生の遺稿に対する毎に、未だ
曽て一唱三嘆、造花の才を生ずるの甚だ奇なるに驚かぬことはない。殊に新聞紙の論説の....
「獄中生活」より 著者:堺利彦
た。 隣室の鼾に和して蛙鳴く 紫の桐花の下や朱衣の人 桐の花囚人看守
曽て見ず 行く春を牢の窓より惜しみけり 永き日を「御看守様」の立尽す ....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
、佐山君は言った。 しかし、ここに一つの不審は、その後に司令部に出入りする者が
曽て向田大尉の姿を見かけないことであった。大尉は病気で引き籠っているのだと、司令....
「道連」より 著者:豊島与志雄
をなして、僕の捨鉢な瞑想を揺ってくる。僕はそれに凡てを任して、途切れ途切れの而も
曽て考えたこともないような底深い思いに沈み込んでいた。 然しその時のことは、と....
「稚子法師」より 著者:国枝史郎
無く名僧となった。阿信というのが法名であったが世間の人は、『稚子法師』と呼んだ。
曽て美しい稚子として山村蘇門に仕えた事があり、法師になってからも顔や姿が依然とし....
「オフェリヤ殺し」より 著者:小栗虫太郎
てしまうのである。 その女ホレイショの媚体は、孔雀の個性そのものであるせいか、
曽ての寵妃中の寵妃――エーネ・ソレルの妖|※振りを凌ぐものと云われた。 従って....
「「草紙洗」を描いて」より 著者:上村松園
れを着けている人が名人であったら、面は立派に喜怒哀楽の情を表わします。わたくしは
曽て金剛巌師の“草紙洗”を見まして、ふかくその至妙の芸術に感動いたしたものですか....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
は眼と眼で笑ったばかりで、なんとも言わずに列んであるいた。去年か今年か、なんでも
曽てこんな楽しい記憶があったように思いながら、小坂部はそれが何時のことであったか....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
はなかなか怪しくない。バラモンの教えには三|吠陀といって十万頌もあるものを今まで
曽て書いたことはない、口から耳に伝えているのであります。それは一音々々を順に読み....
「俳優への手紙」より 著者:三好十郎
に使いはじめた者が出て来た。その或る者達はバクチや投機にこれを使い出した。(即ち
曽ての新劇人達の中で、あれ以来、映画でござれ芝居でござれ、金にさえなれば、そして....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
して理論の方面から、日本に伝説の栄え成長した路筋を考えて見ようとしたものですが、
曽て若い頃にこの「日本の伝説」を読んで、半分でも三分の一でも記憶して居て下さる人....