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曽我
「曽我〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
曽我の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「阿部一族」より 著者:森鴎外
向《げこう》させる。続いて二十二日には同じく執政三人の署名した沙汰書を持たせて、
曽我又左衛門《そがまたざえもん》という侍《さむらい》を上使につかわす。大名に対す....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
、毅然としていった。 「復讐の志を立ててからは、一命は亡きものと心得ております。
曽我の五郎十郎も、復讐と同時に命を捨てました。兄弟としては、必ず本望であったでご....
「西湖の屍人」より 著者:海野十三
忙しいから後にこい」大竹女史が目を瞑じたまま、男の声で答えた。 「先生、こっちは
曽我貞一です。神田仁太郎を連れてあがりました」 「
曽我貞一に、神田仁太郎? そん....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
。二人はどうしても離れられなかった。ああ悪の美の牽引力! ……四国へはいっては長
曽我部へ仕え、九州へ渡っては大友家へ仕え、肥前へ行っては竜造寺家へ仕え、薩摩へ入....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
東海道は大磯の宿を、一路江戸へ向かった。 四 延台寺《えんだいじ》内の虎子石。
曽我の十郎が虎御前の家へ泊まった夜、祐経《すけつね》からはなされたスパイの一人が....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
には坪内逍遙先生の新舞踊劇「浦島」をさせて頂くおゆるしをうけた。森鴎外先生には「
曽我」を新しく書いて頂いた。第二回には、木下杢太郎氏の「南蛮寺門前」を中沢弘光氏....
「こま犬」より 著者:岡本綺堂
小袋ヶ岡というのがある。僕は故郷の歴史をよく知らないが、かの元亀天正の時代には長
曽我部氏がほとんど四国の大部分を占領していて、天正十三年、羽柴秀吉の四国攻めの当....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
して考えられないのが不思議である。常設館ができてのちにも、松之助の「忠臣蔵」と「
曽我兄弟」だけはこの小屋で見た。特別興行という意味合のものか、そこらはよくわから....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
して無礼講《ぶれいこう》の酒宴がはじまった。 狂言は黙阿弥《もくあみ》の『小袖
曽我薊色縫《こそでそがあざみのいろぬい》』で、小団次《こだんじ》の清心《せいしん....
「駅夫日記」より 著者:白柳秀湖
と、野郎|怪訝な顔をしているのです。それから何と言うかと思うと、おれは日本鉄道の
曽我とは非常に懇意の間だ、何か話しがあるならば
曽我に挨拶しようと言う。私はもうグ....
「わが寄席青春録」より 著者:正岡容
わかったため、心ならずも妙な関係はヅルヅル続いていた。この夫というのが戦後歿った
曽我廼家勢蝶で、その勢蝶の夫君が今の桂文團治老。私の人生と落語の縁はいよいよ尽き....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
まふ大臣《おとど》かな 実方《さねかた》の長櫃《ながびつ》通る夏野かな 朝比奈が
曽我を訪ふ日や初鰹《はつがつを》 雪信《ゆきのぶ》が蝿《はへ》打ち払ふ硯《すずり....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
山に、おんじの袂石という高さ二間半、周り五間ほどの大きな石がありました。これは昔
曽我の十郎五郎兄弟の母が、関東から落ちて来る時に、袂に入れて持って来たものといい....