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月朔
「月朔〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
月朔の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
料三人扶持を給せられることになったのは、これらのためであろう。中一年置いて四年四
月朔に、隠居料二人扶持を増して、五人扶持にせられた。 允成は天保八年十月二十六....
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
女の手を引きて、あくる日の昧爽に浜崎を立ち出で、東の方を志す。折ふし延宝二年|臘
月朔日の雪、繽紛として六美女の名に因むが如く、長汀曲浦五里に亘る行路の絶勝は、須....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
には、その付近に数個の新|島嶼を湧出した。「地理纂考」によると、「安永八年己亥十
月朔日、桜島火を発し、地大に震ひ、黒烟天を覆ひ、忽ち暗夜の如し、五日経て後、烟消....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
馬太郎は、先へ帰ったので、残っている由井弁三郎、山川八弥、杉浦慎一郎と共に私は三
月朔日に東京を出発する事になった。そうしてこの帰途は東海道も陳腐だから、木曾海道....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
らのすがすがしさを失われざる朝廷の趣がしのばれて、一段の異彩を放っている。同じ正
月朔日の日記に「鶏鳴き、紫階星落つ、朱欄曙色にして誠に新しきものなり」とあるが、....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
限りなく重くもてなして居た。そして母の閉も入道は大切にしてよい家を作ってやって毎
月朔日ごとに米百石、金百貫を車で送って居られたので家の中もとみさかえて楽しい事は....
「画舫」より 著者:豊島与志雄
は、眺望絶佳の場所とされています。夏には遊歩の人が多くあります。けれども、旧暦十
月朔日の未明、此処から東天を眺めるがよいといい伝えられております。日の出に際して....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
《やま》ノ辺《べの》福住《ふくずみ》の氷室の氷を朝廷に奉《たてまつ》って以来、六
月朔日を氷室の節といい、西の丸では、富士氷室の御祝という儀式があり、大奥、御台所....
「文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
り、芭蕉の『奥の細道』に於いてのそれを最初のものとしなければなりますまい。 「五
月朔日の事也。其夜飯塚にとまる。温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に莚を敷てあや....
「二十歳のエチュード」より 著者:原口統三
朝が来たら、友よ、君たちは僕の名を忘れて立ち去るだろう。 昭和二十一年十
月朔日 赤城山にて 原口 統三 橋本一明君 机下 Etudes ※....
「志士と経済」より 著者:服部之総
さか》等九州遊説の別働隊、備前人藤本鉄石の遊説をもって深く志士と交わり、翌二年二
月朔日付、京都の鉄石からの書翰に、 「……先日は貞助様(領左衛門舎弟)御入京御....
「三国志」より 著者:吉川英治
上で嘲ってやったほうが、面白かろうではないか」と、いった。 時に、建安の四年八
月朔日、朝賀の酒宴は、禁裡の省台にひらかれた。曹操ももちろん、参内し、雲上の諸卿....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ある。 題簽は十兵衛の自筆でないが、最初の一枚の自序を見ると、 慶安二年丑己七
月朔日 菅原三厳 むさし野に 折りべい花は えらあれど 露ほくて 折られな....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
の終りを神送りといったのは古い名で、それは至って丁重な行事であった故に、元は旧十
月朔日の前後から、この十二月八日まで続いていた。然るに一方には遠くから入って来た....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
たるものであろうと解することは、必ずしも無理な推測ではあるまい。同書文明十一年十
月朔日条に、 之。 とあるのも、この芝辻子が北方すなわち十座唱門であることを示....