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「月蝕〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

月蝕の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
の菰《こも》を洩れる芥火《あくたび》の光をうけて、美しい金の光輪ばかりが、まるで月蝕《げっしょく》か何かのように、ほんのり燦《きら》めいて居りました。またその前....
袈裟と盛遠」より 著者:芥川竜之介
口惜《くや》しかった。恐しかった。悲しかった。子供の時に乳母《うば》に抱かれて、月蝕《げっしょく》を見た気味の悪さも、あの時の心もちに比べれば、どのくらいましだ....
単独行」より 著者:加藤文太郎
ここを出発し、雪深い道に悩みながら、それでも元気で下って行った。ちょうどこの日は月蝕の晩だった。菅原から六キロほど下った田中という村の辺では雪の無い道となった。....
十二支考」より 著者:南方熊楠
ペーガン・レーセス・オヴ・ゼ・マレー・ペニンシュラ》』二)。東京《トンキン》人は月蝕を竜の所為《しわざ》とす(一八一九年リヨン版『布教書簡集《レットル・エジフィ....
月蝕」より 著者:夢野久作
刻々に彼女に迫って来る。 大空のただ中に………… ★ ……はじまった……月蝕が………… ★ 彼女はいつとなく死相をあらわして来た。 水々しい生白い....
田丸先生の追憶」より 著者:寺田寅彦
対する丁寧な講評をされた。その宿題を解くのが自分には実に楽しみであった。いつか「月蝕のときに、地球の半陰影が見えないのはなぜか」という問題が出た時、いろいろ考え....
罠を跳び越える女」より 著者:矢田津世子
がいい。あんた達の望んでる社会がはたして来ると思ってるのかね?」 「必然的に……月蝕が一定の時期に出現するようにね。」 「ほう、じゃな、その社会が月蝕と同じよう....
病菌とたたかう人々」より 著者:宮本百合子
、十二の子供にはない思いが去来している。「お母さんの入室」「かいせん焼」「碁」「月蝕」「草履つくり」「着物のがら」「一本松」「目」「鼻」「悪口」「闇取引き」「散....
震災日記より」より 著者:寺田寅彦
日本橋で散弾二|斤買う。ランプの台に入れるため。 八月二十六日 曇、夕方雷雨月蝕雨で見えず。夕方珍しい電光 Rocket lightning が西から天頂へ....
無題抄」より 著者:上村松園
念に、手早く写生させて貰いましたが、まことに水もしたたるような美しさでした。 「月蝕の宵」はその時の写生を参考にしたのです。もちろん全部武子夫人の写生を用いたと....
好きな髷のことなど」より 著者:上村松園
珍しいと私は思ったことでした。 モデル 大正四、五年頃、私は帝展に「月蝕の宵」を出そうとかかった時、武子さんにモデルになって貰ったことがあります。と....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
経ったわけでございます。 当時、私は四十二歳でありました。文展第十回展には、「月蝕の宵」を出品いたしました。当時、皇后陛下で在らせられた皇太后様は、毎年文展に....
虹と感興」より 著者:上村松園
前に述べました。これについて一つの話があるのです。 私は、かつて文展に出した「月蝕の宵」というのは、やはり屏風一双に描いたもので、女たちが、月蝕の影を鏡に映し....
三味線の胴」より 著者:上村松園
位のある顔立、これはああいう名門の一つの貴族型というものがあるでしょう。文展の〈月蝕の宵〉を描いた時には、モデルになってもらって、横向きやら、七三やらの姿を写させて貰った事がある。 (昭和五年)....
寛政時代の娘納涼風俗」より 著者:上村松園
月蝕は今迄余り多く描かれて居りませんから一度描いてみたいと胸に浮びましたのが動機....