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有島
「有島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
有島の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文放古」より 著者:芥川竜之介
花《とくとみろか》程度なのね。きのうも女学校の時のお友達に会ったら、今時分やっと
有島武郎《ありしまたけお》を発見した話をするんじゃないの? そりゃあなた、情《な....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
醜聞
公衆は醜聞を愛するものである。白蓮事件《びゃくれんじけん》、
有島事件、武者小路事件――公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう....
「片信」より 著者:有島武郎
、気持ちだ。兄はこの気持ちを推察してくれることができるとおもう。ここまでいうと「
有島氏が階級争闘を是認し、新興階級を尊重し、みずから『無縁の衆生』と称し、あるい....
「二、三羽――十二、三羽」より 著者:泉鏡花
ない。――(この枇杷の樹が、馴染の一家族の塒なので、前通りの五本ばかりの桜の樹(
有島家)にも一群巣を食っているのであるが、その組は私の内へは来ないらしい、持場が....
「顔の美について」より 著者:伊丹万作
つとも時たま例外がある。 たとえば私の知つている某氏の場合である。 その顔は
有島武郎級のインテリの顔であるがその声はインテリの声ではない。 私はあの顔から....
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
とではなかった。 到頭、わたしは七年も山の上で暮した。その間には、小山内薫君、
有島|生馬君、青木|繁君、田山花袋君、それから柳田国男君を馬場裏の家に迎えた日の....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
持ち寄り、昼食は然るべき料理屋から取り寄せて貰った。当時はすでに故人となっていた
有島武郎氏が京都ではいつも定宿にしていたあかまんやという素人風の宿屋があったが、....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
るために画面の拡大され来たったことも目立つところのことである。 それから今年は
有島生馬氏の滞欧作品と津田青楓氏の特別出品があり、その他川口軌外、福沢一郎両氏等....
「学生と生活」より 著者:倉田百三
集、竹取物語、近松心中物、朝顔日記、壺坂霊験記。 樋口一葉 にごりえ、たけくらべ
有島武郎 宣言 島崎藤村 春、藤村詩集 野上弥生子 真知子 谷崎潤一郎 春琴抄 倉田百三 愛と認識との出発、父の心配....
「生活と一枚の宗教」より 著者:倉田百三
に見られたいという心は、それと比較すれば非常に浮いた気持だと思います。その意味で
有島君のやったことも、
有島君の優しい、善良な、人道主義者としての気持はわかります....
「回想録」より 著者:高村光太郎
と事実とは非常に違うのである。 四年ばかりして外国から帰って来た。その当時矢張
有島生馬、南薫造の両君が帰って来て、二人の展覧会が上野で開かれたがそれが新しい傾....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
うに祈ります。ではお大切にいずれまた。 (久保正夫氏宛 二月二十六日。明石より)
有島武郎の訪問 おはがき拝見しました。二十日にいらっして下さるそうでうれしく思....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
に入った木村|鐙子夫人や中島湘烟夫人は皆当時に崛起した。国木田独歩を恋に泣かせ、
有島武郎の小説に描かれた佐々木のぶ子の母の豊寿夫人はその頃のチャキチャキであった....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
両氏をはじめ私たち「パンの会」の一連が集って盛んに鬱憤を晴らしていると、その席へ
有島生馬君の携えて来たのが『白樺』の創刊号であった。それから時代が次第に浪漫派か....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
正四年の秋はじめてあの緑色の木造の建物が建ち上った時や、トルストイの『闇の力』や
有島武郎の『死とその前後』などの演ぜられた時の感激的な印銘は今もなおあざやかに胸....