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朝敵
「朝敵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
朝敵の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「私の父と母」より 著者:有島武郎
に生まれた母であるから、国籍は北にあっても、南方の血が多かった。維新の際南部藩が
朝敵にまわったため、母は十二、三から流離の苦を嘗《な》めて、結婚前には東京でお針....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
一 鳥羽伏見の戦で、讃岐高松藩は、もろくも
朝敵の汚名を取ってしまった。 祖先が、水戸黄門光圀の兄の頼重で、光圀が後年|伯....
「乱世」より 著者:菊池寛
ちを迫害している。ことに、長州とは蛤門の変以来、恨みがさらに深い。彼らは、桑名が
朝敵になった今、錦旗を擁して、どんなひどい仕返しをするかもわからない。 藩中が....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
三年の条に、 「此一両年日尊と号して|十方成之。御醍醐院之御末也云々」とあるが、
朝敵として幕軍の為めに討たれて居るのである。其の後、日尊に取立てられた小倉の御子....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
建武中興の崩壊 中島商相が、足利尊氏のために、災禍を獲た。尊氏の如く
朝敵となったものは、古来外にも沢山ある。
朝敵とならないまでも、徳川家康以下の将軍....
「十万石の怪談」より 著者:佐々木味津三
はとうに会津中将へ御味方の御決断も御覚悟もついているのに、重臣共がやれ藩名のやれ
朝敵のといって何かと言えば薩長ばらの機嫌ばかりを取結ぽうと、毎日毎夜|埒もない藩....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
く、もしまた、この時節になっても大義をわきまえずに、賊徒と謀を通ずるような者は、
朝敵同様の厳刑に処せられるであろう。この布告が東山道総督執事の名で発表せらるると....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
従わずば、勝敗利害は姑《しば》らく擱《お》き、上《かみ》は朝庭に背くことになりて
朝敵の汚命を蒙《こうむ》り、従って北条の如くに、あらゆる諸大名の箭の的となり鉄砲....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
れたのである。間もなく朝廷よりは慶喜公を始め会桑藩は勿論、姫路高松及び松山藩等を
朝敵と目されて追討を命ぜらるるということになった。されど我藩の如きは、聊かも朝廷....
「鎮西八郎」より 著者:楠山正雄
のの命をこの上むだにとるには忍びない。それにいったんこうして敵を退けたところで、
朝敵になっていつまでも手向かいがしつづけられるものではない。考えて見ると、おれも....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
は千百年ほど前の官符の言葉ですが、今でもそんな特別な顔があるでしょうか。ヒダ人は
朝敵となって、追われて地方へ分散した者が多いし、他国からヒダへはいって土着した者....
「近藤勇と科学」より 著者:直木三十五
りの部屋から、怒鳴《どな》った。金千代が、黙ると 「怪《け》しからんものを唄う。
朝敵とは、何んじゃ」 会津兵が、襖《ふすま》を開けて 「これっ」 金千代は、....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
五つの時に初めて袖の長い衣類を作ってやった、その時のです。小金井の家は戊辰の際に
朝敵となった長岡藩の士族で、主人は貧しい家に兄弟が多く、貸費生で仕上げたのです。....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
義仲とともに頼朝を夾撃すべきの院宣をまで帯しているのである。これに向う頼朝は勢い
朝敵の地位に立たなければならんのである。頼朝たるもの、あにこれを坐視することが出....
「融和促進」より 著者:喜田貞吉
史は決してその子孫に累いをなすべきものではない。現に今日の華士族達の中において、
朝敵謀反人、切取強盗、海賊の張本等の子孫が、よしや少からず存在するとしても、また....