木下藤吉郎[語句情報] » 木下藤吉郎

「木下藤吉郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

木下藤吉郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
星座」より 著者:有島武郎
ると、すぐいわゆる要路《ようろ》の位置についたというのだ。清逸はそれを聞いた時、木下藤吉郎の出世談と甲乙のないほど卑劣不愉快《ひれつふゆかい》なものだと思った。....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
かったが、事実だと知ると、周章して、這々の体で、間道を京都に引き上げた。此の時、木下藤吉郎承って殿りを勤めた。金ヶ崎殿軍として太閣出世|譚の一頁である。 信長....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
羽長秀なんぞの勇将が控え、以上四陣地の東方には、蒲生忠三郎|氏郷、森庄蔵|長可、木下藤吉郎秀吉、明智十兵衛光秀等が陣した。都合総勢三万である。浅井朝倉を退治した....
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
よ。何でも大きな松の木があるそこの下で一晩明したと云ってられました。それで秀吉が木下藤吉郎と名乗った故事になぞらえて、松の下で一夜を明したと云うので、松下一郎と....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
はやんで、やがて一脚の椅子テーブルが正面に据えられ、洋服を着た若い紳士が着席し、木下藤吉郎秀吉が信長の草履取となって草履を懐に入れて温めた事をきい/\声で演説し....
第四次元の男」より 著者:海野十三
ら態度に似合わず、きちんと膝に手を置いて、 「むかしわれ等の先輩の一人は、草履取木下藤吉郎の人相を占って、此の者天下を取ると出たのに愕き、占いの術のインチキなる....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
うであったかも知らぬ、それを事実とすれば信長というものがあまりに弱い、少なくとも木下藤吉郎を家来に持っていた信長、味方の全軍が覆没しても驚かず、桶狭間《おけはざ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
。 「あれに親戚の者がおりまして」 「親戚をたずねておいでなのですか」 「はい、木下藤吉郎と申します、あれが今、長浜におりまして、わたくしの従妹《いとこ》の連合....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の一人が言いました、 「あれが百艘《ひゃくそう》のうちの一つなんです、あの船が、木下藤吉郎の制定した百艘船の一つなんです、今はすたりましたが、一時はあの大丸船で....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
も源氏の系統をこしらえなければならず、たまたま土民の中、乞丐《きっかい》の間から木下藤吉郎のような大物が生れ出でても、その系図の粉飾には苦心惨憺したものです。人....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
れでも彼に限る役があるので、明治二十四年正月の歌舞伎座では、福助の雪姫、菊五郎の木下藤吉郎で、金閣寺の松永大膳をつとめた。大舞台でこういう役を立派に勤め得るもの....
四十年前」より 著者:内田魯庵
抜いていたが、欧化心酔の伊井公侯もこれには頗る困らされたそうだ。 当時の欧化は木下藤吉郎が清洲の城を三日に築いたと同様、外見だけは如何にも文物燦然と輝いていた....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
け、一泡吹かしてやるのだと思うと勇気が凜々と五体に漲り弾ける思いがするのでした。木下藤吉郎の昔から秀吉は、数知れぬ難攻不落の城々を攻めた経験の持主であります。し....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
院の再建を図り、自領の丹後から木材を取寄せたり、寺領を寄進したりしている。当年の木下藤吉郎などもまた、同様な寄附状を大心院へ宛てている。 大心院は、信長の妹婿....