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「木挽町〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

木挽町の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
しは例によって半七老人を訪問すると、老人はきのう歌舞伎座を見物したと云った。 「木挽町《こびきちょう》はなかなか景気がようござんしたよ。御承知でしょうが、中幕は....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
んで、吉田家の息女桜姫が千住の女郎になるという筋で大変当てたそうです。その劇場は木挽町の河原崎座で『桜姫東文章』というのでした。いや、余計な前置きが長くなりまし....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
島を破って江戸へ帰って来て、日本橋の松島町辺に暫く隠れていたが、去年の八月末に、木挽町の河原崎座で団十郎の芝居を見物しているところを召し捕られ、それから引き続い....
一坪館」より 著者:海野十三
ひろげて、大型の旅客機が発着できるようにしたいです。そのときには、銀座はもちろん木挽町から明石町の方まで、すっかり飛行場の下になってしまうはずです。どうですか、....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
止めた。 「裏通りからやるがいい」 駕籠の中から北山が云った。 そこで駕籠は木挽町へ逸れた。 二三 火元はどうやら愛宕下らしい。木挽町あ....
碁の手直り表」より 著者:菊池寛
我々の倶楽部と云うものが、木挽町八丁目にある。築地の待合区域のはずれに在る。向う側は、待合である。三階建の....
梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
か二寸四方位な小さな凧へ、すが糸で糸目を長く付けた凧売りとだけだ。この凧はもと、木挽町の家主で兵三郎という男が拵らえ出したもので、そんな小さいものだけに、骨も竹....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
うだろうと勧めてくれた。家人のためには渡りに船であった。 塩湯というのは京橋|木挽町河岸にあった。そんなわけで鶴見はさっそくそこへ遣られた。出養生である。幼少....
恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
な旅拵えをしていた。ここで判り易いように彼らの人別帳をしるせば、主人の男は京橋|木挽町五丁目の小泉という菓子屋の当主で、名は四郎兵衛、二十六歳。女はその母のお杉....
番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
からとかくに睨み合いの姿であったことを簡単に断わっておきたい。殊にこの年の正月、木挽町の山村座の木戸前で、水野の白柄組と幡随長兵衛の身内の町奴どもと、瑣細のこと....
おせん」より 著者:邦枝完二
何んといっても中村松江なら、当時押しも押されもしない、立派な太夫。その堺屋が秋の木挽町で、お前のことを重助さんに書きおろさせて、舞台に上せようというのだから、ま....
夜の構図」より 著者:織田作之助
三三三号室!」 到頭おくれてしまった。だから、急いで帰っても仕方がなかったが、木挽町で空のタクシーを拾うと、真っ直ぐ第一ホテルへ帰った。 ロビイの受付で、鍵....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
蔵 団十郎門下出勤――新蔵の悲惨――当代の日朗役者――新蔵の役々好評――鬼女の声木挽町の書生芝居 劇界の一問題――男女合併興行――高田の丁汝昌――川上の革新興行....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
る。) 明治十八年の秋、旧外国語学校が閉鎖され、一ツ橋の校舎には東京商業学校が木挽町から引越して来て、仏独語科の学生は高等中学校に、露清韓語科は商業学校に編入....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
私の家の前にはいつも「正」さんという老人の骨董屋さんが出ていた。紀の国橋を渡って木挽町の方へしばらく行ったところにこの正さんの古物骨董の店があって、正さんは雨さ....