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「木村荘八〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

木村荘八の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
て行ってやることになるでしょう。 親たちと私とは一昨日春陽展を上野で見ました。木村荘八、中川一政、石井鶴三、梅原龍三郎の諸氏の画境について、実に何とも云えぬ印....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
救済の仕事に勤務していた。 四月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(木村荘八筆「庭樹」の絵はがき)〕 四月二十七日、只今丹前を送り出します。あれ....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
れてよみませんでした。(『文芸』はうちへかして頂きましょうね)しかし、あの插画の木村荘八亜流をみて、歴史(明治初期)という空気が、ああいうアトモスフィアで好事的....
回想録」より 著者:高村光太郎
なって新しい美術の運動を起そうとした。其処に予てそういう考を抱いていた岸田劉生や木村荘八の諸君が合体して、フューザン会が成立した訳だ。フューザン会という名は斎藤....
智恵子の半生」より 著者:高村光太郎
二箇月間私は信州上高地の清水屋に滞在して、その秋神田ヴイナス倶楽部で岸田劉生君や木村荘八君等と共に開いた生活社の展覧会の油絵を数十枚画いた。其の頃上高地に行く人....
随筆 寄席囃子」より 著者:正岡容
して用いねえな」と、憎いほどおつなことを何の苦もなく言ったりした市馬。 市馬は木村荘八画伯もずいぶんほめていられたが、「石返し」の二度めにそばやの行燈に書き換....
艶色落語講談鑑賞」より 著者:正岡容
高座の湯呑みを取り上げて自らの咽喉をうるおす呼吸が愉しかった。この人の明治味感は木村荘八画伯も何かの随筆の中で讃えておられたと思う。彼柳丸には稚拙な笑い絵を描い....
麦積山塑像の示唆するもの」より 著者:和辻哲郎
郎君が自ら雲岡を訪ねて行ったのは、その後まもなくのことであったように思う。同君と木村荘八君との共著『大同石仏寺』が出たのは関東震災よりも前である。これでよほどは....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
いたものだが、この見世物などに至っては誠に吾等ファンを喜ばせたものであった。後年木村荘八はこれを根岸の縁日において発見して大いに喜び、その芸に精通し、ことに鬼婆....