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木母寺
「木母寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
木母寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「両国の秋」より 著者:岡本綺堂
みえた。堤下《どてした》の田圃には秋の蛙が枯れがれに鳴いていた。 二挺の駕籠が
木母寺《もくぼじ》の近所におろされたときには、料理茶屋の軒行燈に新しい灯のかげが....
「百物語」より 著者:森鴎外
僕の乗っている舟の通る時、大声に「馬鹿《ばか》」とどなった。 舟の着いたのは、
木母寺《もくぼじ》辺であったかと思う。生憎《あいにく》風がぱったり歇《や》んでい....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
水鳥が、ぱっと波紋をのこして飛びたつ――都鳥である。
吾妻橋《あづまばし》から
木母寺《もっぽじ》まで、長い堤《つつみ》に、春ならば花見の客が雑踏《ざっとう》し....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
作られていたそうである。それが五代将軍綱吉の殺生禁断の時代に取毀されて、その後は
木母寺または弘福寺を将軍の休息所にあてていたということであるが、大原家の記録によ....
「良夜」より 著者:饗庭篁村
ど悪びれたる所なく、内気なれど情心あり。主公は朋友の懇親会に幹事となりてかの夜、
木母寺の植半にて夜を更して帰途なりしとなり。その事を言い出て大いに笑われたり。予....
「つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
花吹雪《はなふぶき》 どこかで見たような顔だね 花を咲かすのが雨なら散らすのも雨。 隅田川《すみだがわ》
木母寺《もくぼじ》梅若塚《うめわかづか》の大念仏は十五日で、この日はきまって雨が....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
明治大帝|崩御の年でした。 向島界隈 向島も明治九年頃は、寂しいもので、
木母寺から水戸邸まで、土手が長く続いていましても、花の頃に掛茶屋の数の多く出来て....
「上野」より 著者:永井荷風
、入谷には松源があり、向島秋葉神社境内には有馬温泉があり、水神には八百松があり、
木母寺の畔には植半があった。明治七年に刊行せられた東京新繁昌記中に其の著者服部撫....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
を肩に煙管《きせる》銜《くわ》へたる農夫と茅葺屋根の軒下に行きちがひたり。遥なる
木母寺《もくぼじ》の鉦鼓《しょうこ》に日は暮れ、真崎稲荷《まっさきいなり》の赤き....
「向嶋」より 著者:永井荷風
た。それから安政元年に至って更に二百株を補植した。ここにおいて隅田堤の桜花は始て
木母寺《もくぼじ》の辺より三囲堤に至るまで連続することになったという。しかしこの....