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末世
「末世〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
末世の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
によう仕《つか》まつった。奇特のことじゃ。関白殿下にも定めて御満足であろう。世は
末世《まっせ》となっても、敷島の道はまだ衰えぬかと思うと、われらも嬉しい」 師....
「吉良上野の立場」より 著者:菊池寛
。 「本当に、浅野浪人か」 「そうらしいです」 「これで、俺が討たれてみい、俺は
末世までも悪人になってしまう。敵討ということをほめ上げるために、世間は後世に俺を....
「クララの出家」より 著者:有島武郎
上げなかった。 「神、その独子、聖霊及び基督の御弟子の頭なる法皇の御許によって、
末世の罪人、神の召によって人を喜ばす軽業師なるフランシスが善良なアッシジの市民に....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
め得るに過ぎなくなるにきまっている。従ってその最盛期におけるだけの名人名工はその
末世にあっては再び現われるものでない。ところで油絵芸術はまだ
末世でもあるまいと私....
「油絵新技法」より 著者:小出楢重
かし、それらの仕事の何もかもは、近代の心と油絵技法との、そりの合わない事における
末世の苦悶と見ていいかと私はひそかに考える。 何はともあれ、油絵は、油絵という....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
で、純真澄み透るほどな快いひびきを持っている。そして一首は常識的な平板に陥らず、
末世人が舌不足と難ずる如き渋みと厚みとがあって、軽薄ならざるところに古調の尊さが....
「俳優と現代人の生活(対話Ⅴ)」より 著者:岸田国士
批判の対象にもなつていない。毎日、いろんなスピーカーから叫ばれている声は、およそ
末世的な、荒みきつた、野蛮な声の見本です。だから舞台の上で人間的に魅力のある美し....
「取返し物語」より 著者:岡本かの子
』 おさき『え、何え?』 源右衛門『上人さまは、わざわざ留めにお出でなされたが、
末世の時に叶い、潮に乗った御門徒衆の、今日此頃の勢い、御同行衆のみんな、やみやみ....
「遍路」より 著者:斎藤茂吉
たと謂っていい、そうして遂に大雲取も越えて小口の宿に著いたのであった。実際日本は
末世になっても、こういう種類の人間もいるのである。遍路は無論、罪を犯して逃げまわ....
「古陶磁の価値」より 著者:北大路魯山人
師にいわせますと、あの時すでに来世になっておりますが、今から考えますと兼好法師の
末世はとても尊い時代であります。それで日本でいえば鎌倉時代に青磁が生まれている。....
「良寛様の書」より 著者:北大路魯山人
葉へ、末節へとひた走りに走り、正体なく貫禄を落してしまった時である。かくのごとき
末世的時代にあって、わずかにたった一人の良寛様が、敢然古の本格に道を撰んで歩まれ....
「五重塔」より 著者:幸田露伴
ゃ、ただただ塔さえよくできればそれに越した嬉しいことはない、かりそめにも百年千年
末世に残って云わば我たちの弟子筋の奴らが眼にも入るものに、へまがあっては悲しかろ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ずれつつあったのである。末法の世とは仏法が全く力を失う時代をいうのであるから、「
末世が来った」という声は、宗教以上に高い思想を所有しなかった時代の人にとっては、....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
れておらぬとかの問題も起るが、初めから畳がなければ、破不破の問題はない筈だ。今は
末世末法の代で、戒律などは全然なくなっているのだから、破戒の持戒のという問題は起....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ら「仏の御弟子に侍れば、仏の撤下|賜べ」などと、殊勝なことをいっているのである。
末世の衆生善根の志少く、仏の御弟子も歌ったり踊ったりせねば、生きていくだけの衣食....