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末大
「末大〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
末大の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
》を立てていた。砂糖屋の店さきには七、八人の男や女が、狭そうに押し合っていた。年
末大売出しの紙ビラや立看板や、紅い提灯やむらさきの旗や、濁《にご》った楽隊の音や....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
たく世界が眼ざめて来たように感じられたものである。 今日のように各町内連合の年
末大売出しなどというものはない。楽隊で囃し立てるようなこともない。大福引きで箪笥....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
和条約締結の報あまねく伝わり、三国干渉のうわさについで、遼東還付の事あり。同五月
末大元帥陛下|凱旋したまいて、戦争はさながら大鵬の翼を収むるごとく※然としてやみ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
蘭丸をいっち惜しがる本能寺」、「佐吉めは出征をしたと和尚いい」、わが邦にも美童の
末大名を馳《は》せた者少なからず。それにかかわらず安陵竜陽みな凶終するよう論ずる....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
きの変遷が見られる。内裏雛の顔が尖《とが》って、神経質なものになったのは、明治の
末大正の初めが甚《はなはだ》しかった。 上古の美人は多く上流の人のみが伝えられ....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
昌《はんじょう》した。今では反対の側の住吉町、浪花町の方に芸妓屋がのこり、明治の
末大正にかけて、かきがら町に私娼、大正芸妓があった。 新吉原は浅草公園を外苑地....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
著『本草綱目《ほんぞうこうもく》』蓬草子の条下でいうには「其飛蓬ハ乃チ藜蒿ノ類、
末大ニ本小ナリ、風之レヲ抜キ易シ、故ニ飛蓬子ト号ス」とある。また中国の他の書物に....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
わけて、何につけても、耳目のうるさいこの御府内。若殿のお為を希い、和子さまの行く
末大事と思うなれば」 「おことばまでもなく、軽はずみはいたしませぬ」 「ならば、....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
外しては、考えられない。 室町初期以来の――いわゆる足利水墨の興りを観ると、宋
末大陸の画風をもっとも早く日本に招来したものは、いうまでもなく、五山の禅僧たちで....