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「末広〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

末広の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
そんなことで来たんじゃないのよ」と、お粂は少しまじめになった。「兄さん、ゆうべの末広町の一件をもう知っているの」 「末広町……。なんだ、ぼやか」 「冗談じゃあな....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
に飲ませたいものだ。 ◯弟佑一の会社が焼けた(二月二十五日)と手紙でいってくる。末広町に店を構えたばかりだったのに、気の毒な。またもや憤激のタネが出来た。こんな....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
馬鹿に寒い。けさは手水鉢に厚い氷を見た。 午前八時頃に十番の通りへ出てみると、末広座の前にはアーチを作っている。劇場の内にも大勢の職人が忙がしそうに働いている....
近時政論考」より 著者:陸羯南
ところを挙ぐれば、一方には小松原英太郎、関新吾、加藤九郎などの諸氏あり。他方には末広重恭、杉田定一、栗原亮一らの諸氏ありて政論のために禍を速きたること一、二回に....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
ふと起こった好奇心からズンズン奥の方へはいって行った。 行くに従って岩穴は末広がりに次第に拡がり、左右の岩壁も天井も、もう躰へさわろうともしない。そうして....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
ゝけで少しも文学を解していなかった。議会の開けるまで惰眠を貪るべく余儀なくされた末広鉄腸、矢野竜渓、尾崎咢堂等諸氏の浪花節然たる所謂政治小説が最高文学として尊敬....
薬草取」より 著者:泉鏡花
ます。 本当に貴方がおっしゃいます通り、樵夫がお教え申しました石は、飛騨までも末広がりの、医王の要石と申しまして、一度|踏外しますと、それこそ路がばらばらにな....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
記事で埋めて、演芸を復活させようとつとめた。 そのうち、かの『雪中梅』の作者|末広鉄腸が、『朝日新聞』に書いた。また服部誠一翁がいろいろなものを書いた。寛(総....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
たことがないので私は知らない。 知つているのは伊予鉄道の松山駅のすぐ傍にあつた末広座という小屋である。 末広座というのは比較的新しい名前であるらしく、私の祖....
神経」より 著者:織田作之助
、常盤座の番組の変り目の日が来ると、そわそわと源聖寺坂を降りて、西横堀川に架った末広橋を渡り、黒門市場を抜けて千日前へかけつけると、まず「千日堂」で二銭の紫蘇入....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
の保安条例で東京を逐われて、しばらく大阪に住んでいた。政治論の盛んな時代で、かの末広鉄腸居士の政治小説『雪中梅』などが盛んに行なわれたので、機を見るに敏なる大阪....
十番雑記」より 著者:岡本綺堂
馬鹿に寒い。今朝は手水鉢に厚い氷を見た。 午前八時頃に十番の通りへ出てみると、末広座の前にはアーチを作っている。劇場の内にも大勢の職人が忙がしそうに働いている....
四十年前」より 著者:内田魯庵
つ在官者よりも自由であって、大抵|操觚に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳人之奇遇』を先駈として文芸の著述を競争し、一....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
行った。 そこで労働総同盟ではストライキ調査委員が調査会を開いた。委員の面々は末広二四雄、南唯次、島村信之、石岡文七、高藤邦松等、七人であった。 調査の結果....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
の衆議院議員当選回数は昭和十一年に初めて当選して以来八回になった。社会党では西尾末広、水谷長三郎の両氏の十回に続き、私と片山氏が八回で古い方に数えられる。衆議院....