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末技
「末技〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
末技の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「盲人独笑」より 著者:太宰治
暗き部屋幾つもありというのも哀れである。されど、之等《これら》は要するに皆かれの
末技にして、真に欽慕《きんぼ》すべきは、かれの天稟《てんぴん》の楽才と、刻苦精進....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
な煽て半分の感嘆ではなかった。それは、料理といったような、人間として武士としての
末技に対する感嘆ではなかった。武士そのものに対する感嘆だった。嘉平次は、自分が本....
「文学における今日の日本的なるもの」より 著者:宮本百合子
して、では何故、現代の文学愛好者の大多数がそういう自他ともに低めるような情けない
末技的興味にひき込まれてしまっているのであるかという反問が生じる。 明治以来今....
「今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
であろうか。 不安の文学の瀰漫した呼声、それに絡んで作家の教養とか文章道とかが
末技的に云われている一面、その頃の合言葉として更に一つの響があった。人生と文学と....
「昭和の十四年間」より 著者:宮本百合子
。」「蒼生と悲喜を同うするは軽蔑すべきことなりや否や。僕は如何に考ふるも、彫虫の
末技に誇るよりは高等なるを信ずるものなり。」と感じつつも「プロレタリアは悉く善玉....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
、「蒼生と悲喜を同うするは軽蔑すべきことなりや否や。僕は如何に考ふるとも、彫虫の
末技に誇るよりは高等なることを信ずるものなり」と云った。同時に「新感覚派」の試み....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
界における文学芸術の位置なぞは問題ではないのだが、儒教や武家の教養から文芸を雕虫
末技視して軽侮する思想が頭の隅のドコかに粘り着いていて一生文人として終るを何とな....