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「本坊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

本坊の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
初蛙」より 著者:薄田泣菫
な事が解ったような気がしたそうです。 三 彼岸の十九日に、大阪天王寺の本坊で猫供養というものが行われました。三味線稼業の人達から出来ている日本声曲会の....
丹下左膳」より 著者:林不忘
知でもござろうが、日光|什宝《じゅうほう》のうち、まずその筆頭にあげられるのは、本坊輪王寺に納めある開山上人《かいさんしょうにん》御作《ぎょさく》の、薬師仏《や....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
明が病んでまさに歿せんとする時、その子|独美は僅に九歳であった。正明は法を弟|槙本坊詮応に伝えて置いて瞑した。そのうち独美は人と成って、詮応に学んで父祖の法を得....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いわれない」 この時、竜之助はふと妙な心持になりました。 五本坊の前から炊谷《かしきだに》へかけて森々《しんしん》たる老杉《ろうさん》の中へ....
挿頭花」より 著者:津村信夫
一巡すると、私は前庭に出て、そのまま、廊下から庭に面した書院造りの一間に通つた。本坊の庭は、今の主人の祖父か曾祖父にあたる人が造園したものだと云はれてゐる。叡山....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
左右には金剛力士の像が立っている。 仲店の中間、左側が伝法院で、これは浅草寺の本坊である。庭がなかなか立派で、この構えを出ると、直ぐ裏は、もう田圃で、左側は田....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
は、さればにて候という態で、即座に、 「――まず次はあなた様、その次は、八幡の滝本坊――あの昭乗でございましょうかな」 すこしのみ込めない顔つきをして、三藐院....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
るだけに、晩年の節操も、画そのものも師とするに足ると思った。 また、洛外の滝の本坊にいるという隠操の雅人、松花堂昭乗の淡味な即興風のものにも心をひかれた。沢庵....
私本太平記」より 著者:吉川英治
が、薙刀の先に、武者首をつらぬいたのを担いで、駈け上って来た。たれかと見れば、岡本坊の快実という豪の者だった。 その快実は、両宮の床几に近い所まで来ると、ほこ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
名、つい、取り逃がしたほうの大法師は」 「小六の白状によれば、殿ノ法印の部下、岡本坊とか申すやつだそうで」 「とまれ、いずれも、大塔ノ宮将軍に属する者だな」 「....
私本太平記」より 著者:吉川英治
とも険しい、そして、あやうい御浮沈の刻々だった。 が、ひる頃。 はじめて、藤本坊の英憲やまた円宗院の法印|定宗らが、五百余人の堂衆を後えにつれて、大床の下に....
私本太平記」より 著者:吉川英治
しゃったのは、たれでもない、和殿がその前夜、男山八幡の石段で、殿ノ法印の身うち岡本坊と共に、暗殺しようと計って仕損じたわがおあるじ尊氏どのだ」 「これは? ……....
私本太平記」より 著者:吉川英治
しなかった。それがほんとなら引っ返しても間に合わぬ。彼は、敵の術策を裏返しに、岡本坊の良円を、はるか東北へ密使に放った。 常陸の佐竹、野州の小山、白河の結城、....
山の人生」より 著者:柳田国男
ありて、爰かしこに勾引さるゝあり。或は妙義山に将て行かれて奴となり、或は讃岐の杉本坊の客となりしとも云ふ。秋田藩にてもかゝる事あり。元禄の頃仙北|稲沢村の盲人が....