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「本姓〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

本姓の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
ある、それは浦原嬢だ、イヤ浦原嬢と許りでは読者に分るまい、例のお浦である、お浦の本姓は浦原と云い他人からは浦原嬢と呼ばれて居るのだ、浦原嬢は強いて此の怪美人の傍....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
、あっちをも説きつけて、この縁談は好い塩配にまとまりました。森垣さんはそれ以来、本姓の内田をすてゝ養家の苗字を名乗ることになったのです。 「朝鮮軍記の講釈で、小....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
する人はめずらしくないが、青いという字をかぶらせた青蛙の号はすくないらしい。彼は本姓を梅沢君といって、年はもう四十を五つ六つも越えているが、非常に気の若い、元気....
狂乱」より 著者:近松秋江
ある自動電話の中に入って、そこの家の番号を呼び出して訊ねてみた。いつも、その女の本姓をいって電話をかけたので、電話口へ出た婢衆らしい女に、こちらの名をいわず、そ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
のおっしゃることに少しも違いはない。されば茶道の紹鴎様《じょうおうさま》は、もと本姓が武田であったのを、その頃、武田信玄様という一世の英雄があったので、あんな偉....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ッ子だと言って啖呵《たんか》は切るけれど、いったい江戸のどこで生れたんだか、その本姓も、本名も、年齢も、知った者はない。大菩薩峠発表以来三十年にもなんなんとする....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
兵馬は天井を見ながら思い浮べておりました。 能登守の語るところによれば、南条の本姓は亘理《わたり》といって、北陸の浪士であるとのこと。能登守とは江戸にある時分....
嬰寧」より 著者:田中貢太郎
せずに笑うばかりであった。 嬰寧は何につけても笑うばかりであるから、だれもその本姓を見きわめることはできなかった。母親は夜、嬰寧と同じ室に寝ていた。嬰寧は朝早....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
壺でもないが」 すると座に居た尚古堂が「拝見」と云って受け取った。 尚古堂は本姓を本居信久、当時一流の好事家で、海舟の屋敷へ出入りをしていた。 じっと壺に....
市川九女八」より 著者:長谷川時雨
あと》で、川上|貞奴《さだやっこ》を援助《たすけ》に出た時だかに、彼女にも守住の本姓に月華という名を与えたのだった。 岩井|粂八《くめはち》といった時分の弟子....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
現存で今日盛んに活動しております。この人は元萩原国吉といいましたが、後に実家の山本姓に復し号を瑞雲と改めました)。 鏡縁が納まると、今度は御欄間の彫刻を仰せつ....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
を戸籍に登録した時、屋号の淡島屋が世間に通りがイイというので淡島と改称したので、本姓は服部であった。かつ椿岳は維新の時、事実上淡島屋から別戸して小林城三と名乗っ....
三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
、同じ遊蕩児でも東家西家と花を摘んで転々する浮薄漢ではなかったようだ。 沼南は本姓鈴木で、島田家の養子であった。先夫人は養家の家附娘だともいうし養女だともいう....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
系図は徳川時代になって、秋田実季が自身調査を重ねて編纂したもので、その安倍という本姓は、先祖の安日という名を取ったというのでありますが、しかしその説の由来はすこ....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
だという「日蓮注画讃」(享保二十一年版)には、その貫名氏の先祖調べを行って、日蓮本姓三国氏だと云い、父は遠州刺史、すなわち遠江守貫名重実の次子重忠までは前者と同....