本能寺の変[語句情報] » 本能寺の変

「本能寺の変〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

本能寺の変の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
、佐久間|玄蕃允盛政、及び養子伊賀守勝豊以下を率いて、越中魚津に在陣中であった。本能寺の変が報ぜられたのは、同月四日の夜に入ってからであるが、陣中の周章は一方で....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
し、また所在|匪賊のような連中がいて、戦争があるとすぐ落人狩をやり出すのである。本能寺の変を聴いて堺から伊賀を通って、三河へ帰った家康だって土民のために危かった....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
に至ったに関わらず、秀吉に致されて直《じき》に和睦《わぼく》して終ったり、又父の本能寺の変を鬼頭内蔵介から聞かされても嘘だろう位に聞いた程のナマヌル魂で、彼の無....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
の裏切りで良人を攻めほろぼされ、息子をころされ、清洲城にこもって十年暮したあと、本能寺の変後、柴田の妻となり、恋仇の秀吉に攻められ、娘三人(お茶々を入れて)を秀....
ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格」より 著者:坂口安吾
て使っておったそうであります。 これはニッポンの記録にも残っておりますし、また本能寺の変の時には、このお茶坊主が刀を抜いて戦いまして、本能寺が落城いたしますと....
埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
一揆の本場の加賀へ行ってしまった。そうしてそこで十八年働いた後に、四十五歳の時、本能寺の変に際して家康のもとに帰参したのである。その閲歴から見て狂熱的な一向宗信....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
せたことであろうし、若い者は、すぐ眼近にあった、高松城の水攻めの陣だの、その年の本能寺の変だの、すぐ翌年の小牧の大会戦だの、そうした話題に、明け暮れ送っていたろ....