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「本草学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

本草学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
「ふん、俺が何んで知る」 「亜剌比亜草よ、亜剌比亜草だ、絶対に日本には無い花だ。本草学にだって有りゃあしない。ところで此奴から薬が採れる。名付けて亜剌比亜麻尼と....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
論と報道との舞台に上って来た。もっとも、瑞見はその出発が幕府|奥詰の医師であり、本草学者であって、かならずしも西洋をのみ鼓吹する人ではなかったが、後進で筆も立つ....
灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
したものはシーボルト一人であった。シーボルトが若し渡来しなかったら、日本の蘭学や本草学はアレ程に発達しなかったであろうし。又日本の動植物や特殊の文明も全然欧洲人....
十二支考」より 著者:南方熊楠
き陳《つら》ねた奇薬の名の内に、馬乳、白馬茎、狐と狗の陰茎あり。四十年ほど前予が本草学を修めた頃は、京阪から和歌山田辺(想うに全国到る処)の生薬屋に、馬、牛、猴....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ことは仕合せでありました。道庵先生でも居合わそうものなら、忽《たちま》ち御自慢の本草学を振り廻して、いっぱしの科学者気取りで、ブリキのようなメスをガチャつかせて....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
びさえすれば事が足るように出来ている。 そこで、一ぷくしてから、先生が御自慢の本草学にとりかかりました。 つまり、宿からここへ送らせた旅嚢《りょのう》を、す....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
らでも解釈が出来、古人はそういうものを一つ草とおもっていたものと見えるから、今の本草学の分類などで律しようとすると解釈が出来なくなって来るのである。この歌も取り....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
、ゴルボー屋敷という名前で知られていた。 この呼び名の由来は次のとおりである。本草学者が雑草を集めるように種々な逸話をかき集め、記憶のうちに下らない日付を針で....
三つの悲憤」より 著者:豊島与志雄
という娘を范志清にめあわしました。そして次第に、一切の事を范志清に任せて、自らは本草学の研究に耽るようになりました。 范志清は時には無謀大胆で、そして常に勇敢....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
をお貰いなさいませんので。それにさいったい平賀様には、何が本職でございますかな?本草学者か発明家か、それとも山師か蘭学者か? お医者衆なのでございますかな。……....
加利福尼亜の宝島」より 著者:国枝史郎
が、 「ナニ大和節斎殿とな? これはこれはさようでござったか。和漢洋の学に通じ、本草学の研究においては一流の学者と申すこと、噂に承わっておりました。しかし今より....
柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
らはこんなように云う。もっと馬鹿な奴は吉利支丹だと云う。ふん、みんな違ってらい!本草学にエレキテル、機械学に解剖学、物理に化学に地理天文、人事百般から森羅万象、....
」より 著者:岡本綺堂
、又次郎は帰る途中でも考えた。和田の屋敷の近所に魚住良英という医者が住んでいる。本草学以外に蘭学をも研究しているので、医者というよりもむしろ学者として知られてい....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
的《いそてき》の新田と末娘のお節の三人。……ところで、数負の親父は蘭方医で和蘭の本草学にくわしいということになれば、阿波屋の事件はもう答えが出たようなもんだ。…....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
。 昔といっても文化五年(1808)の徳川時代に小野蘭山《おのらんざん》という本草学者がいて、ジャガタライモを馬鈴薯であるといいはじめてから以来、今日にいたる....