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「本門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

本門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ょうは池上の会式というので、八丁堀同心室積藤四郎がふたりの手先を連れて、早朝から本門寺|界隈を検分に出た。やがてもう五ツ(午前八時)に近いころに、高輪の海辺へさ....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
して世界に未曽有の大戦争が必ず起る。そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
を卜して執行の法会をお会式とはいい、宗徒は又おめいこうとて本山に参籠する。池上の本門寺、堀内のお祖師様など、江戸以来の霊場で、遠くは中山の法華経寺へも出かける。....
道成寺(一幕劇)」より 著者:郡虎彦
数を持てり。若僧のものいえる間ようよう上手に進み行きついに肩を並べつつ)今さっき本門の傍で呻いていると思ったが、いつのまにか上って来たのだな。ああして狂気の顔が....
日本文化私観」より 著者:坂口安吾
という風だった。いつか息子の英雄君をつれて散歩のついで僕の所へ立寄って三人で池上本門寺へ行くと、英雄君をうながして本堂の前へすすみ、お賽銭をあげさせて親子二人恭....
池袋の怪」より 著者:岡本綺堂
る。で、名奉行と聞えた根岸肥前守の随筆「耳袋」の中にも「池尻村とて東武の南、池上本門寺より程近き一村あり、彼村出生の女を召仕えば果して妖怪などありしと申し伝えた....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
かに唱題したのであった。 毎年十月十八日の彼の命日には、私の住居にほど近き池上本門寺の御会式に、数十万の日蓮の信徒たちが万燈をかかげ、太鼓を打って方々から集ま....
裏切り」より 著者:坂口安吾
、トオサンには荷が重すぎた感じでした。 「パチンコもつまらねえし、そうだ。今日は本門寺のお会式だから、でかけてみないか。一度は見ておいていいものだよ」 トオサ....
仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
直接植木を運んで、諸家へ植え込みはしないのであった。 まず秩父から運んで来て、本門寺つづきの丘や谷に、その植木をとりこにして置いたたくさんの植木が、今日ですっ....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
仕立てたとき、アワビの中からクルスが現れたなどと奇蹟をセンデンしたというし、池上本門寺の末寺にもアワビから出た仏像を拝ませるところがあった。たぶん出来損いの真珠....
採峰徘菌愚」より 著者:佐藤垢石
の林には相当いる。だが、それよりも信越線の桶川、吹上方面の方が有望だ。また、池上本門寺付近も市街に近いが見のがせない場所だ。 何れにしても、その採蜂ハイキング....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
お国自慢と皆笑いました。お兄様はやっと思い出したらしく、「そうだ、遠足して池上の本門寺の傍の古い家で弁当を遣って休んだ時、友達が喜んで食べたっけ。由緒のあるらし....
赤い花」より 著者:田中貢太郎
になった方は、真直になって見渡されたが、左になった方はすぐ折れ曲がっていた。寺の本門は左の方にあった。彼は左の方へ曲がって往って、門口に大きな石地蔵のある寺の本....
草藪の中」より 著者:田中貢太郎
ふるまって俳句などを考えていたが、それも厭いて来たので旅館へ帰りかけたところで、本門の方から往くと遠くて無趣味であるから、その草藪を通って旅館の裏手から入ろうと....
春心」より 著者:田中貢太郎
。丹前がそれを見た。 「酒がなけりゃ、呼べ」 揉あげは手をたたいた。そこは池上本門寺の丘つづきになった魁春楼と云う割烹店の離屋で、崖の上になった母屋から廻廊が....