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本阿弥
「本阿弥〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
本阿弥の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦系図」より 著者:泉鏡花
ませんか、お茶台に茶碗を伏せる人は、貴下|嫌だもの、父様も。」 「天晴れ御鑑定、
本阿弥でいらっしゃる。」と急須子をあける。 「誰方なの?」 「御存じのない者です....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
と思われる。絵画の一大派はその源を、茶人であり同時にまた塗師、陶器師として有名な
本阿弥光悦に発している。彼の作品に比すれば、その孫の光甫や甥の子|光琳および乾山....
「寛永相合傘」より 著者:林不忘
る。これへ顔を出すことは、武士のたしなみの一つとさえなっていた。 今日の会主は
本阿弥長職派《ほんあみちょうしょくは》にゆかりのある藩中の老人。さっきから皆がち....
「白くれない」より 著者:夢野久作
たよ。お前は知っているのかい作者を……」 「ヘエ。存じております。この刀身だけの
本阿弥なんで……ヘエ」 「ムウム。弱ったよ。関でもなしと……一つ直江志津と行くか....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
慾を思うからだ。「欠けたる摺鉢にても、時の間に合ふを、茶道の本意。」だといった。
本阿弥光悦は、器物の貴いものは、過って取毀したときに、誰でもが気持よく思わないも....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を経て、例の山田朝右衛門がやること。その時は物々しい検視場、そこへ腰物奉行だの、
本阿弥《ほんあみ》だの、徒目付《かちめつけ》だの、石出帯刀《いわでたてわき》だの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ニ水心子秀世ト云ウ男ヲ呼ンデ、役所ノ跡ヘ入レテ刀ヲ打ッタ、又、研屋《とぎや》ニ、
本阿弥三郎兵衛ト云ウノノ弟子ニ仁吉ト云ウ男ガ研ガ上手ダカラ、呼ンデオレノ住居ヲ分....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
方に鷹ヶ峰というところがある、そこに「光悦寺」という小さな山寺があって、その昔、
本阿弥光悦という物ずきが住んでいた、その寺があいているから、そこへ入って坊主にな....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
い合せてみると、この人の名は、光悦とよぶに違いない。
光悦といえば、今、京都の
本阿弥の辻には、天下に聞えわたっている同じ名の人間が住んでいる。
加賀の大納言....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
るうちに、あのように御気さくなので、いつのまにか、馴々しゅう伺っておるので」 「
本阿弥光悦どののお紹介わせで、私もいちど、柳町の扇屋でお目にかかりましたが、公卿....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
機会が多くなり、描かないまでも、また、興味を持つようになった。 いつだったか。
本阿弥光悦の家で見た梁楷の栗鼠に落栗の図を観――その粗朴なうちに持つ王者の気品と....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
方様は」 と、訊ねると、 「申しおくれました」 と詫びて、 「わたくしは京の
本阿弥の辻に住む光悦という者。また、これは母の妙秀でして、武蔵どのとは六、七年前....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
戸初期の頃をながめても、一体に、むかしの人は、多芸多能であった。 こころみに、
本阿弥光悦とか、灰屋紹由とか、松花堂|昭乗とか、あの頃の文化人らしい人々を端から....
「野槌の百」より 著者:吉川英治
。 ――後で聞けば、なんでも、その年の正月のこと。かれが、師匠の清麿について、
本阿弥の招きで、両国の万八楼へ行った帰り途に、破門をくう、禍があったらしい。 ....