朱印[語句情報] » 朱印

「朱印〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

朱印の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
かれぬから、お前さん方三人に掛《かゝ》られた其の時は是非が無《ね》え事じゃが、御朱印付の天神様境内で喧嘩してもお前さんも立派な先生、私も角力の端くれ、事訳《こと....
虞美人草」より 著者:夏目漱石
両手で叮嚀《ていねい》に抑えた頁《ページ》の、残る一寸角《いっすんかく》の真中に朱印が見える。 「見留《みとめ》じゃないか。なんだ――甲野」 「分ったでしょう」....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
の刀。五寸五分倫光の短刀。三日月正宗。郷義弘。国次の刀。左文字の刀。信虎使用虎の朱印。……信玄軍陣の守本尊刀八毘沙門と勝軍地蔵も宝物の中に加えられていた。手沢の....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
より成立ち、飯綱権現の別当ともいうべきものになったのであり、徳川初期には百石の御朱印を受けていたものである。 今は飯綱神社で、式内の水内郡の皇足穂命神社である....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
れて、ことごとく武士の威力の前に屈服するようになった。今はこの国に仏寺も多く、御朱印といい諸大名の寄付といって、寺領となっている土地も広大なものだ。そこに住む出....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
「まあ、お話しして見れば、たとえば公儀の御茶壺だとか、日光例幣使だとかですね、御朱印付きの証書を渡されている特別な御通行に限って、宿の伝馬役が無給でそれを継ぎ立....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
をした白衣の背におひずるを覆せ、御中道大行大願成就、大先達某勧之などとしたため、朱印をベタ押しにしたのを着込んで、その上に白たすきをあや取り、白の手甲に、渋塗り....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
》は跣足乞食《はだしこじき》と同じ身分じゃ。それにまたこんなに紫の幕を張って、御朱印つきで旅をするというのは我等の心ではない、お役人がそうしてくれるから、そうし....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
て発展した。即ち博多の大富豪島井宗室の大参謀となり、朝鮮、呂宋、暹羅、安南に、御朱印船の長として、貿易事業を進めたのである。 彼は復居合の名人であった。それに....
次郎物語」より 著者:下村湖人
とひなりとも」 というのであった。これには落款があり、左下の隅っこに変った形の朱印が一つ押してあった。 「意味はわかるだろう、だいたい。」 「ええ、わかります....
次郎物語」より 著者:下村湖人
残さないものになってしまった。――即刻召喚の紙片というのは、「即刻」という大きな朱印の下に、呼び出す先生の名と呼び出される生徒の名とを記した小さな紙片でしかなか....
荒蕪地」より 著者:犬田卯
京地方裁判所判事、代理人、何某』と印刷された文書に、大きな、眼玉の飛び出しそうな朱印をきちんと捺した督促状が、付近の債務者のもとへ届けられるようになったのである....
秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
をしたのは相当旧くからであるが、それらの国々へ渡航する船舶に対し、官許の免許状(朱印)を与えて、公に貿易を許可したのは豊臣秀吉で、それは我国の文禄元年、西暦の一....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
ら解らなくなるといけないと云うので、裏に白羽二重のきれを縫いつけて、それへ各々の朱印を附けて有るのですが、誰のだか分りません」 仙「能く見ねえ、誰のだか分りそう....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
・非人七千五百二十八戸を支配していた。また上方では、京都で下村勝助が百九石余の御朱印を戴いて、「エタの長」として、山城から近江・摂津の一部にまで統率権を及ぼして....