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朱子学
「朱子学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
朱子学の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「私の父と母」より 著者:有島武郎
、父の若い時代としては新しい教育を受けた方だが、その根柢をなしているものはやはり
朱子学派の儒学《じゅがく》であって、その影響からは終生脱することができなかった。....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
がです」「その鉄扇の伯父さまが」「なあに漢学者でさあ、若い時|聖堂《せいどう》で
朱子学《しゅしがく》か、何かにこり固まったものだから、電気灯の下で恭《うやうや》....
「青年」より 著者:森鴎外
は直ぐに附く。そこへ超越的な方面が加わって来ても、老荘を始として、仏教渡来以後の
朱子学やら陽明学というようなものになるに過ぎない。西洋で言って見ると希臘の倫理が....
「今日の生活と文化の問題」より 著者:宮本百合子
。その時分には、漢文が武士階級の男子の教養の基本であった。しかも政治の激動期に、
朱子学が或る役割を持っていたことなどから、漢詩が伝統の文学の形式から、直接の日常....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
無意識にか故意にか無視することによって人々は、東洋哲学的諸範疇――例えば国学的・
朱子学的・陽明学的・仏教的・等々――を欧洲哲学的諸範疇に取って代わらせたり、後者....
「女子の独立自営」より 著者:与謝野晶子
政権を握っているもの、武士は何時でも主人のために腹を切るもの、儒学は永久に聖堂の
朱子学を標準とすべきもの、宗教は仏教以外に信ずべからざる事、百姓町民は万世にわた....
「激動の中を行く」より 著者:与謝野晶子
てしまえば、いずれもその本質の腐敗を招かないものはありません。堂上の和歌、聖堂の
朱子学、ロダンが罵った仏蘭西院体派の芸術、その実例はいくらでもあります。殊に官営....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
及ばず。学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し。在昔《ざいせき》或る
朱子学の書生、多年江戸に修業して、その学流につき諸大家の説を写し取り、日夜怠らず....
「文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
る。 二十五 哲学思想 江戸時代には支那の諸種哲学は、もとより伝わっておった。
朱子学派は当時の哲学であって、最も広まっているけれども、古学派もあれば陽明学派も....
「埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
である、というのである。その文章は実に陰惨なヒステリックな感じを与える。少しでも
朱子学の埒の外に出て、自由に物を考える人は、耶蘇の姿を変じたものとして排撃を受け....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
り、イナがボラになったと同じで、これは自然の進化である。マルクスを論じていた人が
朱子学を奉ずるようになったのは、進化ではなくして別の物に変ったのである。前の者は....
「日本文化の特殊性」より 著者:戸坂潤
儒教伝来は又、初めから教学の政治的教化性能と結びついていた。そして徳川期に於ける
朱子学、古学、陽明学などは、最も典型的な士大夫(恐らく古代支那=西周に於ては君子....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
義憤だった。 これは阿能十――阿能十蔵のいい出しである。かれの父、阿能静山は、
朱子学派の一|儒者だったが、あるとき聖堂の石段で、いきなりワンと噛みついてきた赤....