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「杉並〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

杉並の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
自叙伝」より 著者:大杉栄
かしもうそれでは済まなくなった。 中学校は新発田から五十公野へ行く途中の、長い杉並木の間に新しい校舎ができた。そしてその並木路の入口にある小料理屋風の蛇塚屋と....
河明り」より 著者:岡本かの子
は大概複雑なものだが、その神田川も多くの諸流を合せていた。まず源は井頭池から出て杉並区を通り、中野区へ入るところで善福寺川を受け容れ、中野区淀橋区に入ると落合町....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
さも、おなじく忘れ得ない。 白柳秀湖氏の研究によると、東京で最も雷雨の多いのは杉並のあたりであると云う。わたしの知る限りでも、東京で雷雨の多いのは北|多摩郡の....
東京八景」より 著者:太宰治
かったので、故郷からの仕送りも、相当減額されていた。一層倹約をしなければならぬ。杉並区・天沼三丁目。知人の家の一部屋を借りて住んだ。その人は、新聞社に勤めて居ら....
」より 著者:徳田秋声
れた日には、男体山などの姿が窓からはっきり眺められた。社の森、日光の町まで続いた杉並木なども、目前に黝んで見えた。大谷川の河原も、後の高窓から見られたが、笹村は....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
境内に踏みいると、乱雑なる町家から仕切られて、吉野山の杉林を見るような、幽邃なる杉並木が、富士の女神にさす背光を、支持する大柱であるかの如く、大鳥居まで直線の路....
御萩と七種粥」より 著者:河上肇
結婚した芳子の家と並んで、東京市の――数年前までは市外になっていた――西の郊外、杉並区天沼という所にあった。偶然にもそれは青楓氏の邸宅と、歩いて十数分の近距離に....
異質触媒作用」より 著者:寺田寅彦
内して進行したが、どこまで行ってもなかなか田舎らしい田舎へ出られないのに驚いた。杉並区のはずれでやっとともかくも東京を抜け出すまでが容易でなかった。この町はずれ....
箱根熱海バス紀行」より 著者:寺田寅彦
道からの湖上の眺めは誠に女車掌の説明のごとく又なく美しいものである。昔の東海道の杉並木の名残が、蛇行する自動車道路を直線的に切っているのが面白い。平野ではこれと....
次郎物語」より 著者:下村湖人
。ちょうど、同じくらいの距離を上手に行くと、旧藩暗代の名高い土木家が植えたという杉並木がある。次郎は、そのどちらも好きであった。彼は、別に面白いことが見つからな....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
三越本店式場で結婚式をあげ事実上の婚姻予約をなした。 しづの姉婿、加藤律治氏は杉並でクリーニング店を営み、しづは同所に居住している関係上、羽山はしばらく同所で....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
変っても、なつかしさには変りがありません。とはいうものの、地境になっていた大きな杉並木もなくなったばかりか、そこらの人が根まで掘って薪にしたというのです。まして....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
はるか》に雪の富士|巍然《ぎぜん》として聳《そび》え、水流るる街道《かいどう》の杉並木に旅人を配置したるものなどなるべし。この外《ほか》に広重の描ける山水に人物....
澪標」より 著者:外村繁
とく子と三児の籍を入れ、郷里の人人に嘲笑される。 翌年二月、文学再出発を志し、杉並区阿佐ヶ谷に移る。窮乏の生活が始まる。 「もう子供は産まない」と、とく子は繰....
春の大方山」より 著者:木暮理太郎
た樅の大木があって、幕張の樅と呼ばれ、頼朝が幕を張ったものだという。其傍から左に杉並木の間を上って行けば、物見塚という小丘の上へ出られる、頼朝が狩場の働きを見物....