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村松
「村松〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
村松の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「蠅男」より 著者:海野十三
。まだ御泊りでしたか。えらいところをごらんに入れますわ、ハッハッハッ」 検事の
村松氏に案内されていったとき、知合いになった住吉署の大川巡査部長であった。帆村は....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
き返して軍旗を奪還するから、志ある者は我に従えとて、奮然として行こうとするのを、
村松曹長、櫟木軍曹等が泣いて諫止した。これが、乃木将軍の西南役に於ける軍旗を奪わ....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
来ているのである。 家康(年三十四)は竹広村弾正山に、三郎信康(年十七)は草部
村松尾大明神鎮座の山に布陣した。これが本営であって、左翼の先陣は大久保|忠世兄弟....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ることにも抜け目がないが、あれでなかなか奇骨がある。」 奥州から越後の新発田、
村松、長岡、小千谷を経、さらに飯山、善光寺、松本を経て、五か月近い従軍からそこへ....
「碁の手直り表」より 著者:菊池寛
自分は、脳膜炎になっている直木を、三目で二度負かしたわけである。 二月号で、
村松梢風氏との棋力の優劣について、何か云っていたが、あれは両方で強がっているので....
「文人囲碁会」より 著者:坂口安吾
乱暴そのものゝ組み打ちみたいな喧嘩碁で、凡そアカデミズムと縁がない。 ところで
村松梢風、徳川夢声の御両名が、これ又、非常にオトナシイ定石派で、凡そ喧嘩というこ....
「砂書きの老人」より 著者:上村松園
砂書きの老人 上
村松園 まだ私が八、九歳のころ京都の町々にいろいろな物売りや、もの乞いがやって....
「私の碁」より 著者:坂口安吾
り常先に打ちこまれ、国府津で泥酔して尾崎一雄とやって互先に打ちこまれ、勝ったのは
村松梢風さんにだけ。全然意気があがらなくなってしまった。 むかしは碁の素性もい....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
谷会などというのに連敗して、一度も勝ったタメシがない。 豊島与志雄、川端康成、
村松梢風、榊山潤、尾崎一雄、火野葦平、梅崎春生、私なぞと名ばかりの有段者がズラリ....
「作画について」より 著者:上村松園
鶴 菱田春草 木蘭 横山大観 花ざかり 上
村松園 秋風 水野年方 秋山喚猿 鈴木松年 ....
「おせん」より 著者:邦枝完二
「どうだの、これは別に、おいらが堺屋から頼まれた訳ではないが、何んといっても中
村松江なら、当時押しも押されもしない、立派な太夫。その堺屋が秋の木挽町で、お前の....
「縮図帖」より 著者:上村松園
縮図帖 上
村松園 縮図は絵の習いたてからとっており、今でも博物館あたりへ通って縮図して来....
「妖怪学」より 著者:井上円了
の一人は五、六年来さらに面会したることなし。今、便宜のために、その第一の友人を木
村松太郎とし、第二を木村竹蔵とし、第三を木村梅吉とするに、木村を思うごとに、その....
「わが母を語る」より 著者:上村松園
ていた英国の皇子コンノート殿下のお目にとまり、お買上げということになり、一時に上
村松園の名が、新聞紙上に書き立てられますと、その叔父が一番に飛んで来て、「めでた....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
た元の神楽坂に戻ったようだ。ただ震災後に新しく出来たやや著名な店としては、銀座の
村松時計店と資生堂との二支店位だが、これは何れも永久的のものらしく、場所も神楽坂....