村鑑[語句情報] »
村鑑
「村鑑〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
村鑑の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虚構の春」より 著者:太宰治
了|被下度《くだされたく》候《そうろう》。小生、日本人ノウチデ、宗教家トシテハ内
村鑑三氏、芸術家トシテハ岡倉天心氏、教育家トシテハ井上哲次郎氏、以上三氏ノ他ノ文....
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
えなるべし、読者の寛容を待つ。
明治三十年六月二十日
東京青山において
内
村鑑三
再版に附する序言
一篇のキリスト教的演説、別にこれを一書となすの....
「え゛りと・え゛りたす」より 著者:辻潤
五六の時分にはもう一人前のクリスチァンで、横文字の書物にばかり読み耽った。 内
村鑑三先生の「警世雑著」を愛読している時分、ひどく先生の影響を受けて米国のカレッ....
「如是我聞」より 著者:太宰治
く、非常に落ちついて来た。などと言っていたね。)戦後には、まことに突如として、内
村鑑三先生などという名前が飛び出し、ある雑誌のインターヴューに、自分が今日まで軍....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
人冷静な非戦的態度をとっていた万朝報までが急にその態度を変え出した。幸徳と堺と内
村鑑三との三人が、悲痛な「退社の辞」をかかげて万朝報を去った。 そして幸徳と堺....
「碧眼托鉢」より 著者:太宰治
読みものが在るように。」いい読みものがなかった。二三の小説は、私を激怒させた。内
村鑑三の随筆集だけは、一週間くらい私の枕もとから消えずにいた。私は、その随筆集か....
「道標」より 著者:宮本百合子
力して、たたかわなければならないとアッピールしている文章だった。
「黒岩涙香や内
村鑑三なんかも、日露戦争には反対したことがあったんでしょう?」
「それは、平民新....
「作家の像」より 著者:太宰治
いうことになっている。いたわり撫でるつもりで、ひっ掻いている。塚本虎二氏の、「内
村鑑三の思い出」を読んでいたら、その中に、 「或夏、信州の沓掛の温泉で、先生がい....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
宗演《しゃくそうえん》、南天棒あたりの提唱は聞いた、キリスト教会では植村正久、内
村鑑三あたりの先生とは親しく座談もし、数回教えも受けた。 次は、文学界の方面だ....
「人生における離合について」より 著者:倉田百三
らせん」といつも書いてある。ラファエル・フォン・ケーベルやカルル・ヒルティや、内
村鑑三らが信じて疑うことができなかったように私たちの地上に別れた霊魂は再び相合う....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
洋酒を店におくことにした。 さてお得意先へも洋酒販売のことを披露すると、翌日内
村鑑三先生が入って来られた。『今日のあなたの店の通知、あれは何ですか』内村先生は....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
一時文士村と称されたものでありまして、また淀橋の櫟林の聖者としてお名のひびいた内
村鑑三先生、その隣りのレバノン教会牧師福田錠治氏などが、その行商最初の得意となっ....
「樹氷」より 著者:三好十郎
と思う。つまりトルストイとフエビアン主義を突きまぜたと言うかなあ、日本で言うと内
村鑑三と安部磯雄を合せた式のさ。それが気に入らないんだ僕なぞは。社会主義なら社会....
「イエスキリストの友誼」より 著者:新渡戸稲造
ながら共に共に天父の意を尽そうというのである。此の中には思想が深くて学問の広い内
村鑑三君や、三宅君の如き兄分もいる。これらの人たちと上野の大仏あたりを夜の十二時....
「涙香に還れ」より 著者:野村胡堂
偉大なる社長であり、練達の紳士であり、民間の哲学者であり、そして曾《かつ》ては内
村鑑三、堺枯川、幸徳秋水をその羽翼《うよく》の下に抱擁した自由人であったのである....