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「条坊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

条坊の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
偸盗」より 著者:芥川竜之介
一度、あの女を見たばかりで、とうとう今のように、身をおとした。…… すると四条坊門《しじょうぼうもん》の辻《つじ》を、南へやる赤糸毛《あかいとげ》の女車《お....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
土屋庄三郎は邸を出てブラブラ条坊を彷徨った。 高坂邸、馬場邸、真田邸の前を通り、鍛冶小路の方へ歩いて行く。....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
西家の所有地があった。一は旧跡なる武者小路で、一年両度の地子百三十疋、ほかには六条坊門の地子で、盆暮八十疋の収入があった。 以上は山城国に散在する所領からして....
雪の宿り」より 著者:神西清
れぞれ分けてお納めになりました。京じゅうの土倉、酒屋など物持ちは言わずもがな、四条坊門、五条油|小路あたりの町屋の末々に至るまで、それぞれに目ざす縁故をたどって....
南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
ども漕げ」 そこで小舟は駛り出した。 その同じ日の夕方のこと――ここは京都四条坊門、南蛮寺が巨然と聳えている。その周囲は四町四方、石垣の中に作られたは、紅毛....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
えたのである。するとあながち彼の考え方も、空だのみでないかも知れなかった。 六条坊門の通りから五条のほうへ歩いてゆくと、町ではあるが、この界隈の夜というものは....
私本太平記」より 著者:吉川英治
も、打物取って、討手方の一翼に入る。 かくて山本勢が、第一に押しよせた先は、四条坊門ぢかい土岐左近の屋敷だった。 「ひそまれ――」 山本時綱は、兵をうしろに....
私本太平記」より 著者:吉川英治
が、馬糞だらけにしておくには無残なほど、築土のさまや庭園などもすばらしい。 七条坊門を見て、佐女牛の杉並木を横に、兼好を乗せてきた輿は、そこの門内へ入った。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
一劃を、里内裏とさだめられた。 つづいて、尊氏も、その居を、東寺から移して、三条坊門ノ御池におき、高ノ師直は一条今出川に住みついた。 ――そして直義は、錦小....
私本太平記」より 著者:吉川英治
そろしく早かったといってよい。 吉野の喪は秘されていたろうに、二日後にはもう三条坊門の門へその飛報が入っていた。 「はアて?」 尊氏は、俄にほんとにもしなか....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
の五条橋下中島の地、すなわち古えの六条河原の地にあった。(今の五条通りは古えの六条坊門で、松原通りが五条通りであった。その松原通りから六条通り迄の間の河原を六条....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
三八九郎助 同 関助 京都皮田村 頭中様 この争いの結末は、茶筅等は京都四条坊門極楽院空也堂の支配下であって、彼らの名前が同寺の古帳にあるとの主張であった....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
陰道筋の鉢屋と、山陽道筋の茶筅とは、相変らず上人を祖述し、空也流の本山たる京都四条坊門なる、紫雲山光勝寺との因縁を保っておった。 空也は下層民を率いて、ただに....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
回礼したり、あるいは朱房の十手を携えて捕方を勤めたりなどしても、依然として京都四条坊門空也堂紫雲山光勝寺の門流と称しているのをみても察せられる。そして自分は、こ....