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来朝
「来朝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
来朝の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「乱世」より 著者:菊池寛
官軍を前にしては、背後にしなければならぬ尾州藩は、藩主同士こそ兄弟であるが、前年
来朝廷に忠誠を表している。なんらの後立もなく、留守居の小勢で血戦したところで、一....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
ひそんで来ん春を待っていた。 明治初年信教の自由許され、カソリック教の宣教師が
来朝し、長崎大浦の地に堂宇を建てて、朝夕の祈祷をしていると、どこからともなく集っ....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
てつとに智識を世界に求め盛んに経綸を行なわせたまうによるというといえども、維新以
来朝野の間に生じたる政論の運動はあずかりて力なしというべからず。日本の文化はつね....
「北斎と幽霊」より 著者:国枝史郎
一 文化年中のことであった。 朝鮮の使節が
来朝した。 家斉将軍の思し召しによって当代の名家に屏風を描かせ朝鮮王に贈ること....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
先は思い出せない。その代りここまでくると年代はよほど明かになる。この芝居も折から
来朝中の米国大統領グランド将軍の観覧に供えたものという。もしそうとすれば明治十二....
「あゝ二十年」より 著者:上村松園
覧会に「四季美人図」を初めて出品いたしまして、一等褒状を受け、しかもそれが当時御
来朝中であらせられた英国皇太子コンノート殿下の御買上げを得た時のことを思い合わせ....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
せらるるようになったのは自分らの努力によることが多大である。もっとも明治二十年に
来朝したブッセなどもこのことに関係がなかったとはいえない、それまでの英、米哲学を....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
だ。二葉亭の露文は学生時代からグレエ教師が感嘆したという位で、後にダンチェンコが
来朝して能見物に案内した時、ダン君に示すための当日の能の筋書を前夜の中に露訳した....
「想い出」より 著者:上村松園
勧めで〈四季美人図〉を初出品致しまして、思いがけなく一等褒状を得、剰え、その時御
来朝の英国のコンノート殿下の御目にとまり御買上の光栄に浴しました時から始まり、そ....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
話記』によると、源頼義が清衡の父経清を責めて「汝先祖相伝予が家僕たり。しかして年
来朝威を忽諸し、旧主を蔑如す、大逆無道なり」といっており、『吾妻鏡』にも、頼朝勅....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
様子の違ったものであったらしい。応神天皇の十九年に吉野離宮に行幸のあった時、彼ら
来朝して醴酒を献じた。日本紀には正に「
来朝」という文字を使っている。彼らは人とな....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
を、いつもに似合わぬ冷静さで眺めることができた。――一人の大使が、ポーランドから
来朝した。黒ビロオドの長服に、宝石のボタンをつけるなど、いかめしい人物だった。彼....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
すぐれ、前途多望と称せられたる女形なり。 ○七月十六日、東京府民有志の発企にて、
来朝中の米国前大統領グラント氏を新富座に招待し、新作の史劇「後三年奥州軍記」と芸....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
がら一寸申し添えましょうなら、こういう類のこと実は今に始まったのでありませぬ。元
来朝鮮民族と日本民族には、その成立の要素に於いて甚だ相類似したものと、私は確信し....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
代から国家連合の時代を迎えた今日、民族問題は世界の大問題であり、日本民族も明治以
来朝鮮、台湾、満州国に於て他民族との協同に於て殆んど例外なく失敗して来たった事を....