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「杭州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

杭州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
西湖の屍人」より 著者:海野十三
、窓下を覗くことも叶わなかった。 この室は、漢于仁の故郷であるところの浙江省は杭州の郊外、万松嶺の上に立つ、直立二百尺の楼台のうちにあって、しかもその一番高い....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
も一と先ず中立宣言か」 「上海に市街戦起る、○○師団、先ず火蓋を切る。米国空軍は杭州地方に集結」 東京市民は、我が軍に関するニュースの少いのに不満であった、そ....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
梅沢君に説明して聞かせた。 それにはこういうことが漢文で書いてあった。 ――杭州に金華将軍なるものあり。けだし青蛙の二字の訛りにして、その物はきわめて蛙に類....
骨董」より 著者:幸田露伴
死んでしまった。廷珸も人命|沙汰になったので土地にはいられないから、出発して跡を杭州にくらました。周丹泉の造った模品はこれで土に返った訳である。 談はもうこれ....
運命」より 著者:幸田露伴
で、重慶より襄陽に抵り、また東して、史彬の家に至りたもう。留まりたもうこと三日、杭州、天台、雁蕩の遊をなして、又雲南に帰りたもう。 三年、重慶の大竹善慶里に至....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
々」(山居新話) 道士、潮を退く 宋の理宗皇帝のとき、浙江の潮があふれて杭州の都をおかし、水はひさしく退かないので、朝野の人びとも不安を感じた。そこで朝....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
の猴を撃ち殺させた。 陰徳延寿 むかし真州の大商人が商売物を船に積んで、杭州へ行った。時に鬼眼という術士があって、その店を州の役所の前に開いていたが、そ....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
かしそれから後は、黄泥溝で溺れ死ぬ者はなくなりました」 僵尸(屍体)を画く杭州の劉以賢は肖像画を善くするを以って有名の画工であった。その隣りに親ひとり子ひ....
大空魔艦」より 著者:海野十三
ったりするあのコックだ。おれは、お前と同じように、攫われてきたんだ。それはおれが杭州で釣をしているときだったよ。突然袋を頭から被せられてかつがれていったのだ。あ....
蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
とせられているが、しかし、これは秋成の創作でなしに支那の伝説の翻案である。支那の杭州にある西湖の伝説を集めた『西湖佳話』の中にある『雷峰怪蹟』がその原話である。....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
ぜ。まったく木曜島あたりじゃア想像もつかないような大収穫だ。帰国の途中には広東や杭州などのシナの賑やかな港によるから、早く金に代えたい者は代えるがよい。一番不足....
女侠伝」より 著者:岡本綺堂
一 I君は語る。 秋の雨のそぼ降る日である。わたしはK君と、シナの杭州、かの西湖のほとりの楼外楼という飯館で、シナのひる飯を食い、シナの酒を飲んだ....
赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
うなチッポケの人出じゃありません」 と野村氏は云った。 それは事実であった。杭州、蘇州、南京等を巡遊して再び上海へ帰り、昼の上海を比較的ゆっくり見物した時、....
支那の思出」より 著者:国枝史郎
私が支那へ行ったのは満洲事変の始まった年の、まだ始まらない頃であった。 上海、南京、蘇州、杭州、青島、旅順、大連、奉天と見て廻った。約一ヶ月を費した。 汽船は秩父丸であ....
中支遊記」より 著者:上村松園
には笑わせられた。私はふっと特務機関長のところの門衛の支那兵を思い出したりした。杭州にて 杭州では西冷印社という印肉屋に朱肉を見に行ったりした。少し茶色がかっ....