東下り[語句情報] » 東下り

「東下り〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

東下りの前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
町ともつかず村ともつかない鄙《ひな》びた家並がある。ここは重衡《しげひら》の東下りのとき、鎌倉で重衡に愛された遊女|千手《せんじゅ》の前の生れた手越《たごし....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
て挨拶も致さず通りぬけるは即ちもぐりの大名じゃッ。その方共は島津の太守の名を騙る東下りの河原者かッ」 「なにッ、名を騙るとは何事じゃッ、何事じゃッ。よしんば長沢....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ろいことを言ったで――まるで錦絵から抜け出した人のようだったなんて――なんでも、東下りの業平朝臣だと思えば、間違いないなんて。」 「業平朝臣はよかった。」と清助....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
し東征の矢竹心を心として、白羽二重に緋の袴、五歳六歳の御遊にも、侍女を馬にして、東下りと宣らしつゝ、御所の廊下を駆り玉ひき。 御父祖の夢は、君が代に現となりつ....
深夜の電話」より 著者:小酒井不木
、常にえもいわれぬ美しさを呈しております。皆さんは、『太平記』の中の俊基朝臣の「東下り」の条をお読みになったことがありましょう。 「竹の下道行きなやむ足柄山の峠....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
々にして鎌倉幕府を指し、あるいは一般に武士を示すの語となれり。『太平記』俊基朝臣東下りの道行のうち、池田宿の条に、 元暦元年の比かとよ、重衡の中将の、東夷の為....
ハイカラ考」より 著者:木村荘八
いう「お国振り」とも云おうか、われわれ、今にして思えば、千年も前のようなお姿で、東下りなさったのであったが、明治四年になると散髪令一下されて、参議連の木戸、大隈....