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「東京専門学校〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

東京専門学校の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
僕の昔」より 著者:夏目漱石
う調子だった。 ちょうど大学の三年の時だったか、今の早稲田《わせだ》大学、昔の東京専門学校へ英語の教師に行って、ミルトンのアレオパジチカというむずかしい本を教....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
が、民間にもまた一方にはイギリス法律を主とする東京法学院(今の中央大学の前身)、東京専門学校(今の早稲田大学の前身)等があり、また一方にはフランス法を教授する明....
私の経過した学生時代」より 著者:夏目漱石
、大学へ進むようになってからは、特に文部省から貸費を受けることとなり、一方では又東京専門学校の講師を勤めつつ、それ程、苦しみもなく大学を卒《お》えたような次第で....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
一個のパン屋として、苦しいなりにも独立自営の目途がついたのであった。 私の母校東京専門学校の大学昇格資金に、金壱百円を寄付することが出来たのは、たしかそれから....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
の生れで、生れたところは日本アルプスの山麓の穂高という村です。早稲田大学の前身の東京専門学校に入って、政治学をやったが、二十三年学校を出ると、友人たちはたいてい....
駅夫日記」より 著者:白柳秀湖
たそうだ。卒業する時には誰でも小林は軍人志願だろうと想像していたが、彼は上京して東京専門学校で文学を修めた、この間駅長は鉄道学校にいて彼に関する消息は少しも知ら....
学究生活五十年」より 著者:津田左右吉
えってみる。ぼくは明治二十三(一八九〇)年に東京に出て来て、今の早大の前身である東京専門学校の政治科に入り、一年半ばかりいて、翌二十四年にそこを卒業したことにな....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
てはじめて歌われ出したのであった。亡くなった東儀鉄笛氏が、震災で倒れたというあの東京専門学校時代からの記念的建物だった当時の大講堂に、幾回も私達全校の学生を集め....