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東人
「東人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「船医の立場」より 著者:菊池寛
年たちの祝福を祈りながら、船へ帰って来た。そして、その木片を支那語の通辞である広
東人《カントンじん》羅森《らしん》に示した。 羅森は次のように訳した。 英....
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
関東には良いものがだいぶたくさんあります。関西よりも良いものがあると思います。関
東人は意地《いじ》ということをしきりに申します。意地の悪い奴はつむじが曲っている....
「霊魂第十号の秘密」より 著者:海野十三
落ちこみ、鼻は高くて山の背のように見え、その下にすぐ唇があって、やせひからびた近
東人《きんとうじん》だ。頭巾《ずきん》の下からは、鳶色《とびいろ》の縮《ちぢ》れ....
「のろのろ砲弾の驚異」より 著者:海野十三
していたのかね」 「それは広東語だ。もっとも、博士がまだ片言もいえないときに、広
東人の金氏が拾い上げて、博士を育てたんだからねえ、赤ちゃんのときに広東語を喋った....
「人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
ぞいた部屋付女中がいうのである。 もちろん、彼はその女には逢わない。こんな、近
東人らしい婦人と接近などした日には、ますます彼の周囲には厳戒が加えられ、厭な日々....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
ろう。また此歌の左注に、憶良が病んだ時、藤原朝臣八束(藤原|真楯)が、河辺朝臣|
東人を使として病を問わしめた、その時の作だとある。 一首の意は、大丈夫たるもの....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
とになる。だから、男は思う女の名を聞き出すことに努める。錦木を娘の家の門に立てた
東人とは別で、娘の家のまわりを、自身名と家とを喚うてとおる。これが「よばひ」でも....
「墓地展望亭」より 著者:久生十蘭
わたくし、日本の方にお眼にかかるのはこれが初めてなんです……」 と、いって、近
東人種特有の陰険な微笑を浮べた。どうもそのまま信用しにくいようなところがあった。....
「海豚と河豚」より 著者:佐藤垢石
は、肥料にしても惜しくないような肉だから、君が賞讃しないのも無理はないが、一体関
東人は鯨肉の本性を知らない。馬肉の方を上等なりとしている人さえある。ところが、大....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
国史地理学上、本邦の種族調査の一部として、さきに「夷俘・俘囚の考」と「
東人考」とを発表したる余輩の研究は、ここに中世において武士を夷と称したることの理....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
だとある。この系図にはもちろん疑問がないでもない。彼れあるいは本来東国の土豪たる
東人であって、系図を名家に仮托したのであるかも知れない。またその後と称する御館藤....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
徴発することは、いつとなく無くなりまして、その代りに東国人が徴発されます。これを
東人と申しました。彼らは佐伯部と同じく忠勇なる兵士でありまして、ただに皇室の近き....
「東西相触れて」より 著者:新渡戸稲造
るのであって、風俗習慣あるいは民俗を支配する思想から姑《しばら》く脱すれば、西人
東人の共鳴する所が多い。これ即ち国民外交の基ともいうべきものであって、かくの如き....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
ないが、二階の客の勘定を下へ伝えるときに聘珍楼の主人はこうどなる。ここの主人は広
東人だった。中華料理屋の店は活気があるが全く騒々しい。日本女の仲居は二、三人いた....
「魯迅さん」より 著者:内山完造
たのむ、須藤さんにすぐ来てもらいたいということが書いてある。魯迅さんは奥さんが広
東人だから、ぼくには広東語は通じないと思うので、いつでも手紙をきちんと書いてよこ....