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東八
「東八〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東八の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「単独行」より 著者:加藤文太郎
ょうど立山の連峰が夕日に焼けてとても綺麗である。天狗平の小屋は地図の鏡石から東南
東八〇〇メートルほどのところと思われる。 天狗平の小屋には天狗岳に面した南窓か....
「二都物語」より 著者:佐々木直次郎
トが焼棄されたのである。 〔第二章 駅逓馬車〕 シューターズ丘 ロンドンの南
東八マイルのところにあるかなり高い丘。 ブラックヒース シューターズ丘とロンド....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
かずにまるまる徳川家の手中に帰したのは、実に六百万両という巨額でした。徳川領の関
東八カ国だけを敵に廻したら裕に二十カ年、関ガ原以東の諸大名を対手にしたら八カ年、....
「病院風景」より 著者:寺田寅彦
婦の婆さんが洗濯している。どこかミレーの絵の鼠色の気分である。屋上の砂利の上に関
東八州の青空。風が強くて干し物がいくつか砂利の上に落ちている。清らかになまめかし....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
。 「お愛嬌《あいきょう》ですよ。あれをお前さん、正直に受取った日には、一年に関
東八州が三ツあったって足りやしませんよ……植える方はどうでもいいが、切る方はせい....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
勢八という資産家の娘に生れた兼子の浮き沈みである。 油堀は問屋町で、伊勢八は伊
東八兵衛という水戸侯の金子御用達《きんすごようたし》であった。伊勢屋八兵衛の名は....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
ていた。 そのうち昭和二十年八月十五日に終戦になったので、程もなく同君は山梨県
東八代郡花鳥村竹居の疎開地から無事に都下滝野川区上中里十一番地の自宅へ還った。が....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
の泥鰌 同 国里村国玉…………………………………………………………国玉の大橋
東八代郡富士見村河内組……………………………………………………七釜の御手洗 中巨....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
の入口の方はタンタンボ、奥伊豆に行くとタタンポコ、相州の三浦ではチャンポ、甲州の
東八代はチャンポポ、上州|妙義山の周囲はチャンポコ、それが日本海上に飛んで佐渡の....
「森の石松」より 著者:山中貞雄
「お客さん、清水の次郎長ってそんなにえらいかね」 「えれえとも爺っつあん関
東八ヶ国関外六ヶ国十四ヶ国に博奕打の親分も数ある中に次郎長ぐらいえれえのが二人と....
「三国志」より 著者:吉川英治
きくと、 「なにもない。仲翔を用いて下されば、有難い」 と、答えた。 江南江
東八十一州は、今や、時代の人、孫策の治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃、....
「三国志」より 著者:吉川英治
れば、これは孫権の母公、呉夫人であった。 母公は猛りたって、 「そちたちは、江
東八十一州の遺領を、いながらにうけて、父祖の恩に、今日を豊かに送りながら、なお荊....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
も、その追撃軍は、少数ではない。上杉|憲顕をはじめ、江戸氏、葛西党、三浦一族、坂
東八平氏、武蔵七党などの混成旅団で、あなどりがたい兵質と数であった。 顕家は、....