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「東叡山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

東叡山の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
く先ゃ忍《しのぶ》ガ岡《おか》の天海寺だ。急いでやりな」 今の寛永寺なのです、東叡山《とうえいざん》寛永寺というただいまの勅号は、このときより少しくあとの慶安....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
。菊田一夫構成の「五十年後の今日の今日」の苦しさよ。そのうち除夜の鐘がなり出す、東叡山寛永寺のかねがよく入っていた。 昭和二十二年 一月一日(曇) ◯五十一歳....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
越前の松平|春嶽を通して謝罪と和解の意をいたしたということや、慶喜その人は江戸|東叡山の寛永寺にはいって謹慎の意を表しているといううわさなぞで持ち切った。 大....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
々感服家で、理想実行家である。趣味の民かと思うたら、中々以て実利実功の民である。東叡山を削平して、不忍の池を埋めると意気込み、西洋人の忠告によって思いとまった日....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、というのは、覚王院の威望が隠然として大きいのと、西の比叡《ひえい》に対する東の東叡山の存在が、ある意味に於ては、柳営以上の位にいるという頭があるからです。 ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
した。 ところが、その、私の留守中に、店へ来られたお客があった。その方は上野|東叡山派の坊様で、六十位の老僧、駒込世尊院の住職で、また芝の神明さまの別当を兼ね....
おせん」より 著者:邦枝完二
元但馬守の練塀に沿って、蓮の花が妍を競った不忍池畔へと差掛っていた。 三東叡山寛永寺の山裾に、周囲一|里の池を見ることは、開府以来江戸っ子がもつ誇りの一....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
菩提所というのであるから、寺としての豪勢、関東に並ぶものはなかった。 上野の、東叡山寛永寺は、天海上人の開基である。天海上人は観智国師の法友で、共に武蔵国の人....
曲亭馬琴」より 著者:邦枝完二
一 きのう一日、江戸中のあらゆる雑音を掻き消していた近年稀れな大雪が、東叡山の九つの鐘を別れに止んで行った、その明けの日の七草の朝は、風もなく、空はび....
寄席行灯」より 著者:正岡容
てきた。 広小路に早い灯花《あかり》がちらほら点いて、かさこそと桜落葉が鳴り、東叡山の鐘が鳴ったが、立つ客とてはひとりもなかった。 ついでにこの日、小さんは....
霊廟」より 著者:永井荷風
囁《ささや》きともいうべきであったろう。 已に半世紀近き以前一種の政治的革命が東叡山《とうえいざん》の大伽藍《だいがらん》を灰燼《かいじん》となしてしまった。....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
の坊さんが、ひょっと書いたりしたものじゃないか。出が寛永寺の縁故の所だし、東寔と東叡山とも、こじつければこじつけられない気もしないではないし――などと根気のない....
大岡越前」より 著者:吉川英治
……そうだ、おまえ、どこかそこらで待っておいで。すぐ戻って来るからね」 上野は東叡山三十六坊といわれている。ふかい木々と夜霧のあなたに、中堂の廻廊の灯や、文珠....