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東寺
「東寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
砲は一門もなかった。 鳥羽街道は、むかしの羅生門に通ずる道で、京都へ入る所に、
東寺がある。
東寺の十町ばかり手前の石橋の所まで来た時、
東寺に駐屯していた薩兵が鳥....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
長年以下の凱旋諸将を従えられ、『増鏡』に依ると、其の行列は二条富小路の内裏から、
東寺の門まで絡繹として続いたとある。供奉の武将達も、或は河内に、或は|伯耆に、北....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
、摂津、阿波には海嘯があった。そして最後の二十四年七月にも京都に大地震があって、
東寺の講堂が傾いた。それから応永年間も地震の多い年で、約八十回にわたる記録が見え....
「海神に祈る」より 著者:田中貢太郎
二十里でございますから、お疲れになられましたでございましょう、それで殿様は」 「
東寺へずっとお成りになった」
東寺は最御崎寺の事で、其処は四国巡礼二十四番の納....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
都百万遍知恩寺にある。大和法隆寺(御物)大和海竜王寺所蔵のものはこれに次ぎ、京都
東寺、粟田口青蓮院、嵯峨清涼寺、坂本来迎寺所蔵のもの略これと同じく、また貝葉でな....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
祷のためだとある。 以上は『吾妻鏡』に見える限りであるが、また同じ八月に京都の
東寺で泰衡調伏の法を修せしめたことが『
東寺長者補任』に見えるのによると、他の社寺....
「長吏名称考」より 著者:喜田貞吉
吏と云っている。「拾芥抄」僧官の部に、 三井寺主 云之。 とある。叡山で座主、
東寺で長者という類で、勧修寺でもやはりその最上席の僧を長吏と云っている。「勧修寺....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
女の家に泊り合した滑稽談があるが、この中間法師は実に当時の所謂下司法師であった。
東寺執行日記貞治二年正月条に、同寺所属の下司法師たる散所法師の事を「間人散所法師....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
のもつまりは「十無い」で、「八」ということを避けた隠し言葉でありましょう。京都の
東寺にも昔|散所法師というのがありまして、寺の境内の掃除を担当し、汚物取り片付け....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
り東洞院の東、稲荷町の地にあったとも言われている。その地は因幡薬師の東で、或いは
東寺の散所法師の如く、因幡堂のキヨメすなわち掃除夫であったのかもしれぬ。ところが....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
が画されているのによって察せられる。南北朝から室町時代の文書にしばしば見えている
東寺の散所法師の如きも、またこの類であったらしい。散所法師の掃除人等がサンジョの....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
ったことは、既に簡単に概説したところであるが、その社寺に属するものとしては、京都
東寺の掃除散所法師、同祇園感神院の犬神人すなわち弦召などが有名である。
東寺で....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
は本来かえって他の方面に求めていたに相違ない。それについて思い合わされることは、
東寺の散所法師や、高野山の谷の者、興福寺の五箇所・十座の唱門等の使役である。
東寺....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
息」に見えている。坂の者の中の或る者が祇園の犬神人に役せられ、散所の者の或る者が
東寺の散所法師であった事は既に観察したところである。これらは貴紳社寺に役せられた....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
でありながら、一方にはそんな優美な半面もあったのです。 真言宗の本山たる京都の
東寺には、掃除散所法師という下級の法師があって、境内の掃除や警固のことを担当して....