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東山道
「東山道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東山道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
市九郎とお弓は、江戸を逐電してから、東海道はわざと避けて、人目を忍びながら、
東山道《とうさんどう》を上方へと志した。市九郎は、主殺しの罪から、絶えず良心の苛....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
痛ましい母の心が、彼を悲しませた。彼は新しい感激で、大和から伊勢へ出て、伊勢から
東山道を江戸へ下った。が、敵らしいものの影をさえ見なかった。尋ねあぐんだ彼は、し....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
関西の立花宗茂と比べられたりした典型的の武人である。 昌幸が、上田城を守って、
東山道を上る秀忠の大軍を停滞させて、到頭関ヶ原に間に合わせなかった話は、歴史的に....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
伊勢松坂城を出発した。続いて徳川家康、織田信雄は東海道から、上杉景勝、前田利家は
東山道から潮の様に小田原指して押しよせた。「先陣既に黄瀬川、沼津に著ぬれば、後陣....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の地勢もないからである。この谿谷の最も深いところには木曾福島の関所も隠れていた。
東山道とも言い、木曾街道六十九|次とも言った駅路の一部がここだ。この道は東は板橋....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
領分の村々から藩主を迎えに来た人足だけでも二千人からの人数がこの宿場にあふれた。
東山道にある木曾十一宿の位置は、江戸と京都のおよそ中央のところにあたる。くわしく....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
い立って来て、正香らと共にずっと奔走を続けていた人に中津川本陣の浅見景蔵がある。
東山道|先鋒兼|鎮撫総督の一行が美濃を通過すると知って、にわかに景蔵は京都の仮寓....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
木五千駄を山村氏に与え、別に山村氏には東美濃地方に領地をも与えて、幕府に代わって
東山道中要害の地たる木曾谷と福島の関所とを護らせた。それより後、この谷はさらに尾....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
した。 二 天皇はついで大毘古命を北陸道へ、その子の建沼河別命を
東山道へ、そのほか強い人を方々へお遣しになって、ご命令に従わない、多くの悪者ども....
「怪僧」より 著者:田中貢太郎
官軍の隊士飯田某は、五六人の部下を伴れ、勝沼在の村から村へかけて、潜伏している幕兵を捜索していた。それは、
東山道から攻めのぼった官軍を支えようとした幕兵を一戦に破ったあとのことであった。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
山陽道にわたって漂うのを常とし、これらの地を蚊が襲うようになると、彼等は東海道と
東山道、或いは山陽道と山陰道との山脈間の村落、または北陸道方面を徒渉《としょう》....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を引具《ひきぐ》して、京地《けいち》を目指して乗込んで来るという事実と、風聞が、
東山道沿道の藩民の心胆を寒からしめたことは昨日のようだけれども、もうその事が結着....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
か、お聞きなさい」 神主はこういって兵馬の前に、その絵巻物を繰りひろげ、 「
東山道、みちのくの末、信濃の国、十郡のその内に、つくまの郡《こほり》、新しの郷《....
「百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
ラザーの古物であったがこれは旧式ではあるが中々機械の質がよく少々利用して東海道、
東山道など突破した事もあるが、長く続かなかった、部分品や修繕に中々金がかかるのと....
「甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
が参謀となり、岩倉具定を総督とし、土州、因州、薩州の兵三千、大砲二十門を引いて、
東山道軍と称し、木曾路から諏訪へ這入り、甲府を襲い、甲府城代佐藤駿河守殿を征め、....