東御[語句情報] » 東御

「東御〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

東御の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
福島からの役人とその下役衆の出張を見た。野尻、三留野の宿役人までが付き添いで、関東御通行中の人馬備えにということであった。なにしろおびただしい混み合いで、伊那の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
りの七里の渡し、寝覚の里―― 神戸《ごうど》の通りを真直ぐに左に海中へ突出した東御殿、右は奉行屋敷へ続く西御殿、石をもって掘割のように築き成した波止場伝い、そ....
源氏物語」より 著者:紫式部
きしめてお出かけになった姿は、寸分の隙もないお若い貴人でおありになった。六条院の東御殿もまた華麗であった。小柄な華奢な姫君というのではなく、よいほどな体格をした....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
小路にも人影がまばらで、足の音さえもまれまれである。 二条のお城を中心にして、東御奉行所や西御奉行所や、所司代などのいかめしい官衙を、ひとまとめにしているこの....
わが童心」より 著者:佐藤垢石
さない。 それから東に眼を移すと、近くは上州北甘楽の稲含山、多野の西御荷鉾山、東御荷鉾山。遠くは武州と甲州にまたがる奥秩父の連山が、十重二十重に霞の奥の果てま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、どうあっても、信じられてはいない。 元々、吉田大納言定房は、宮廷における“関東御用取扱い役”であった。鎌倉との接触は、いやでも多いわけだった。 彼のその立....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
因縁をたどったものとも解せられるのである。そしてその登大路の故地が、もと興福寺の東御門すなわち奴婢門の付近で、寺賤のおった所であるというのも、またよそごとならず....