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東本願寺
「東本願寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東本願寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
、米藏という老僕に提灯を持たして小梅の御中屋敷を立出で、吾妻橋を渡って田原町から
東本願寺へ突当って右に曲り、それから裏手へまいり、反圃の海禅寺の前を通りまして山....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
定した時、順慶と戦って討死した。墓が残っている。 それから、何代か後になって、
東本願寺の家老となった。下り藤の紋のついた鉄砲が、それを物語っている。それから、....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
、この点をもう少しハッキリさせる必要があるだろう。 三、血液と制度との混線
東本願寺では去る十四日、第二十五世法嗣光養麿君の得度式を行った、がそれは極めて画....
「尼になった老婆」より 著者:田中貢太郎
ことでございますから、さあ、文政の二三年、いや、もうすこし後でございましたかな、
東本願寺の門跡様が久かたぶりで御下向遊ばすと云うことになりますと、江戸は申すに及....
「長崎の一瞥」より 著者:宮本百合子
、礼拝堂から出て来た。大浦の天主堂を見た眼では、明るく出来立てで大きく、どこかに
東本願寺というような感がしなくもない。 内部も規模大で、祭壇の左右に合唱壇もつ....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
焼を食べたのもちょっと珍らしかった。この一泊した木村氏の宅は、因幡薬師堂の傍で、
東本願寺はじき近くであったから、その翌日大谷句仏師を訪ねた。が折悪しく旅行の留守....
「亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
れは蝋燭を灯すに用い多く会津で出来た、いわゆる絵ローソクを使ったもので、今日でも
東本願寺など浄土宗派のお寺ではこれを用いている。中には筍形をしたのもあった。また....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
心とした浅草一円の地理を話して置いたから大体見当は着くことではあるがこの三軒町は
東本願寺寄りで、浅草の大通りからいえば、裏通りになっており、町並みは田原町、仲町....
「九条武子」より 著者:長谷川時雨
ャム》の皇太子に入輿《にゅうよ》の儀が会議され――明治の初期に、日支親善のため、
東本願寺の光瑩《こうけい》上人の姉妹《はらから》が、清《しん》帝との縁組の交渉は....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
頂きまして、歴とした会が成立したのであった。 会場は下谷の海禅寺(合羽橋側)、
東本願寺等であった。この会は二、三回続きましたが、美術思想を一般に普及した功は多....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
り後までも直接その事に与り、今以てその習慣が遺っている場合がある。すなわち先年の
東本願寺光瑩上人の葬式の時に、六人の「宝来」と称する者の参加したのはこれである。....