東海道五十三次[語句情報] » 東海道五十三次

「東海道五十三次〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

東海道五十三次の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
といいましたっけね」 「どこの町だよ」 「日本橋の大通りにあるじゃござんせんか、東海道五十三次はあそこからというあの橋ですよ」 「あきれたやつだな。あいそがつき....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
鞋をぬぐと、その晩に一つの事件が出来したんです」 その頃の小田原と三島の駅は、東海道五十三次のなかでも屈指の繁昌であった。それはこの二つの駅のあいだに箱根の関....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
どが続いていて、停車している汽車の窓にも虫の声々が近く流れ込んで来ることもある。東海道五十三次をかいた広重が今生きていたらば、こうした駅々の停車場の姿をいちいち....
般若心経講義」より 著者:高神覚昇
らぬと存じます。 ところで人生を旅路と考え、弥次郎兵衛、喜多八の膝栗毛を思い、東海道五十三次の昔の旅を偲ぶとき、私どもは、ここにあの善財童子の求道譚を思い起こ....
」より 著者:太宰治
られてある青銅の竜の翼が、焔に包まれてまっかに焼けた。 私の幼時に愛した木版の東海道五十三次道中|双六では、ここが振りだしになっていて、幾人ものやっこのそれぞ....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
|大学頭の御上屋敷、定火消屋敷などが立並んでいる。そのころは既に広重の出世作、『東海道五十三次』(保永堂板)は完成され、葛飾北斎の『富嶽三十六景』が、絵草紙屋の....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
どうも――それから広重――と、氏は読みにくい昔の日本文字を自由に読みこなして――東海道五十三次|掛川之宿。どうですこの藍の色は! 嬉しいですね。さあ、ほうら! ....
戯作者」より 著者:国枝史郎
塚の宿へ入った頃には、日もとっぷりと暮れたので、笹屋という旅籠へ泊ったが、これぞ東海道五十三次を三月がかりで遊び歩いた長い旅行の第一日であり、一九の名をして不朽....
薬前薬後」より 著者:岡本綺堂
どが続いていて、停車している汽車の窓にも虫の声々が近く流れ込んで来ることもある。東海道五十三次をかいた広重が今生きていたらば、こうした駅々の停車場の姿を一々写生....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
と竪との様式の相違よりして自《おのずか》ら別種の画風を示したり。横絵の東都名所は東海道五十三次《とうかいどうごじゅうさんつぎ》と同じくその布局は細密なる写生に基....