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東湖
「東湖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東湖の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「道草」より 著者:夏目漱石
す。あれでも価値《ねうち》にしたら今じゃよっぽどするでしょう」 昔し島田は藤田
東湖《ふじたとうこ》の偽筆に時代を着けるのだといって、白髪蒼顔万死余云々《はくは....
「死生」より 著者:幸徳秋水
少将の如く、溺死しても佐久間艇長の如く、焚死しても快川国師の如く、震死しても藤田
東湖の如くならば、不自然の死も却って感嘆すべきではない歟、或は道の為めに、或は職....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
い。目もくらむばかりだ。 半蔵が日ごろその人たちのことを想望していた水戸の藤田
東湖、戸田蓬軒なぞも、この大地震の中に巻き込まれた。おそらく水戸ほど当時の青年少....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
この浪士の中には、藤田小四郎もいた。亡き御隠居を動かして尊攘の説を主唱した藤田|
東湖がこの世を去ってから、その子の小四郎が実行運動に参加するまでには十一年の月日....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
に高くかかっている。あそこに梅田雲浜があり、橋本|左内があり、頼鴨崖があり、藤田
東湖があり、真木和泉があり、ここに岩瀬肥後があり、吉田松陰があり、高橋|作左衛門....
「死体の匂い」より 著者:田中貢太郎
の涵徳殿も土蔵も潰れたとのことであった。 私は土塀の崩潰を惜しむとともに、藤田
東湖のことをすぐ思い浮べた。色の黒い※野な顔をした田舎武士は、安政乙卯の年十月二....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
焼け跡は長さ二里十九町で幅が二町余であった。変死人は七千人。この地震に水戸の藤田
東湖と戸田忠太夫の二名士が斃れた。 火事は江戸の花と言われるくらい、江戸時代に....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
ごとく、溺死しても佐久間艇長のごとく、焚死しても快川国師のごとく、震死しても藤田
東湖のごとくであれば、不自然の死も、かえって感嘆すべきではないか。あるいは道のた....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
弥九郎の高弟。そのころ無敵といわれた道場荒し。 当時の佐久間象山は、水戸の藤田
東湖と共に一代の権威。諸侯も礼を厚うして、辞を卑《ひく》うしなければ教えを乞うこ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
神尾にあっては一たまりもない。新井白石の折焚柴《おりたくしば》を読ませても、藤田
東湖の常陸帯《ひたちおび》を読ませても、神尾にとっては一笑の料《しろ》でしかある....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
だよ、弁舌がさわやかで、威力があって、男ぶりがよくて、腕が出来ている。水戸の藤田
東湖のようなむずかし屋でさえ、水越の弁舌には参っていたよ」 と道庵が言いました。....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ていた。 当時は世間の志士などが多く慷慨悲憤の心を述べるために詩を作った。彼の
東湖の正気歌とか獄中作なども伝えられていたので、私も徒に花鳥風月を詠ずる時勢に非....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
とき熱血が流れつつあったかを悟《さと》ることが出来なかった。また同じ西郷が藤田|
東湖《とうこ》に会った後、人に向い、 「追剥《おいは》ぎみたいな人物だ」 と評....
「作画について」より 著者:上村松園
亀遊のこの歌をみるごとに、私は米英打つべし! を高らかに叫んだ水戸の先覚者、藤田
東湖の歌を想い出すのです。 かきくらすあめりか人に天日の かゞやく邦の手ぶ....
「岩魚」より 著者:佐藤垢石
安政六年の春、二十七歳になった石坂儀右衛門は、飄然として家出した。遺書に、水戸の
東湖塾へ行くと記してあるのみであった。二、三年前に利根の対岸宮郷村の豪農から嫁た....